ヨギーニmayuさん モークシャへの道!

ヨガ、セラピー、宇宙、ヒーリング、文章。旅その他つれづれとかいています。

サットサンガの重要性

ヴェーダーンタの学びは続いています。もちろん、これは8回コースでおしまい、みたいなものではなくひろーいひろーい宇宙観なので、ずっとずっと続くものです。

スワミダヤーナンダジのパブリックトークのビデオのテキストを見ながら、思うことをみんなで話し合うのですが、ヨーガでもひとつの場に集まって自分自身のことや今気になっていること、弱い部分や悲しみ苦しみなどを話し合うことをサットサンガといいます。

サットとは「真理」だったり「純粋なもの」という意味で、サンガは「集まり」「同席する」といった意味があります。
もちろん、少し難しい内容の時もありますし、サンスクリット語がいっぱい並んでいてわからないなぁと頭を悩ませてしまったこともありますが、ある日ふと!気づいたのです。

ああ、こうして自分の弱いところを話し、ヴェーターンタの宇宙観と照らし合わせたり、
イーシュワラと照らし合わせてみることで「なんて守られているんだ!」そしてそれは自分だけにとどまらずすべての人が守られているということに気がつくのです。

はじめは「自分ができないと思われるのは悲しい」ですとか「自分だけが理解していないのかな」「あんなに理解できている人がいるのに」なんてヨーガにもかかわらず比べてしまったりもします。しかし、そんなこともなくてはじめたばかりだったら誰でもがよくわからないし、理解不能!と思っていたり、そしてそれを人のせいにしたり、環境のせいにしようとしたりして、そしてはじめて「あ!これって癖だったな」と気がついたり。

サムサーラのなかで、じたばたとしているのをイーシュワラは実は微笑んで見てくれているようなそんな感覚が芽生えます。そして、なによりお話を聞いてくださる仲間がいるということ、心の苦しみを共有できるということに感謝の気持ちが芽生えたりもします。
伝統的な方法に則って学ぶということは、質問できる人(スワミジとよばれます)がいるということです。一人では到底読みこなせない聖典の学びが、深まっていくというのが本当に感動するという感じです。

ヨーガの八史則の中でも、聖典を読む(スワディアーヤ)という項目があるのですが
ずっとずっと聖典を読み続けなければならないのかな?すごく難しくて全部はよくわからないのに…」と思っていましたが、これは先生と一緒に読みそして仲間と一緒に理解を深めていくことなのだということにも気づきました。そしてそれはとても楽しいことだとも気が付き始めました。

聖典の言葉はとても奥が深いので、インドの文化などが背景にあることもありますし、西洋の人がその文化をわからずに訳したところから誤解が生まれた部分もあるなど、どうりでちょっとだけクラスで学んでも、一人で本を読んでもなかなか理解ができるようにならないはずです。

生きているといろいろなことがありますので、ただ少し学ぶだけではヴェーターンタの教えが日常では飛んで行ってしまいそうになることもあります。しかし、話し合ったり、ときには疑問点をぶつけたりすることで「あーなるほど、ここは誤解だったかな?」「ちょっと読み違えていたかも」ということにも気が付きます。
そこに気がつくことができるのです。もちろん、ヨーガをするために集まることもサットサンガのひとつだそうですし、2020年はリアルに集まるということがあまりコロナでできないのでそんなときにはZOOMなどのオンラインが手助けになります。全国全世界と繋がれて不思議だなとつくづく思っています。

もちろん、すべてのことを人には言えないこともありますよね。悩みや苦しみを言いたいと言ってもいまはあまりいいたくない、とか不特定多数の人には聞かれたくないみたいなこともあります。そんなときにはセラピーをつかってもいいし、カウンセリングを使ってもいいし、なんでもいいのです。
心のモヤモヤを溜めたりそれで自分を攻撃することは自己尊厳が失われないことになってしまうかもしれませんので、タイミングなどがあえばサットサンガなどで出していくこともとても有効な手立てとなると思います。

サットサンガをすると、日常の些細なあれこれがダルマであったりすることにも気が付きますし、そうはいっても葛藤がある人もいます。スワミダヤーナンダジは言います、「問題のない人なんていない」と。本当にそうかもしれません。そのときにヴェーダーンタの宇宙観が理解できているかどうかで随分と視野が変わってくるのだと思います。

個別のカウンセリングなどが多いですが、いつかこちらでもサットサンガしてみましょう。


BHAGAVADGITA HOME-STUDY-COURSEバガヴァッドギーター第1章まで

こちらもホームスタディ用ですが、きちんと伝統に則った勉強をするととても理解が深まります。

⭐️まゆさんのヨガ&セラピー⭐️
オンラインヨーガやパークヨガ、室内でのプライベートや少人数のクラス、瞑想。
呼吸法、なども行っています。
セラピーやカウンセリングも個別なども対応しています。
お気軽にどうぞ。
mayuchi22@hotmail.com にメッセージくださると折り返しご連絡します。

宮迫さんのyou tube 宮迫ですっ!を見ているこのごろ

久しぶりに雑談でもかいてみましょう。

引越しを考えていて(まだ進まない部分もあるのですが)いろいろなものをあげたり捨てたり、メルカリで売ったりなどしています。その中でかねてから感じていた「テレビ見なくなってきたなぁ」という思いと、コロナが起きてからのあまりにもセンセーショナルなテレビ番組をつい、ながらでもつけてしまうことに疑問を感じたりしていて思い切って!ジモティで手放してみることにしました。

もともと部屋のサイズとテレビの大きさもあっていないのもあり、なにかいろいろとあってなくてたくさんはみていなかったのですが、手放してみるとなんとなくテレビを見る時間というのがなくなってヴェーダーンタの勉強をする時間もできて、よかったなぁと感じています。
(大好きなタモリさんを見ることができないのは寂しくもあるのですが、必要なら生であってみたいという願望はまだ残ったままでいつつ)

もともと大がつくほどのテレビっ子でしたし、バラエティ大好きでした。お笑いに癒されてきたし、今も癒されています。人を笑わせるってすごいことだし、トーク一つとってみても、すごい技術!と思ったりします。
なので、ひょんなことから誕生日が同じ(年は違いますが)宮迫さんのyoutubeを息抜きにみることにしました。

【街ブラ】東京タワー近くで生涯No.1の○○○に出会いました

そしたら、面白いし癒されるし、感動すらしてしまいました。50歳にしてゼロになった?と思っていたけれど、youtubeをみると何もゼロになっていません。
すごい技術!話術!リアクション。芸人さんってやっぱりすごいんだな、と思わされました。ニュースなどいろいろあったけれど、わたしたちはどうしても
色眼鏡で物事を見てしまう癖があるから、もちろん本質的には嘘をついてしまったことはいけないこともあったけれど、でも私たちは決して迷惑がかかっていないし(最近の芸能人のスキャンダルなどを見ていてもそう思います)、ただ、おうちにいてネットを見てコメントを書くというのはだれでもできてしまうけれども、本質を見ていない部分もあったかもしれないな。もちろん、芸能人というのはイメージがとても大事なので、イメージというのが何で作られているのかというのは広告やCMなどという場合もあるし、ドラマの影響という場合もあるし、いろいろな原因があるかもしれないけれども、youtubeをみていると「ただ、与えられた役割を一生懸命していた」人なのかなーという気がしてきました。(真面目に書いている)

性格がキツそうにみえていたりする部分は、半分は役割を担うがあまりそう見えていた部分というのもあるのかもなあ、とほんわかした街ブラロケを見ていて
優しい部分しか見えていないと不思議な気持ちになります。

Facebookやブログ、もちろんyoutubeですらわたしたちは一面しか見えていないし、わからない部分もいっぱいありますが、想像で物事をつなげて「こんな人」「こんなことがあったに違いない」というふうにストーリーを作り上げていきます。
良くも悪くもSNSなどがあることで、芸能人との距離が近くなり、感想もかけるし、出来事をひっくり返すことすらできます。
モヤモヤを晴らすこともできるけれど、もしかしたら逆のこともできるかもしれない。と思うと、自分はできるだけ自分の目で見て感じたことを
書いていけたらいいなーと思います。

昔は、テレビの真似をしていると思われていたyoutubeが独自のものになり、感動をおこしたり、ムーブメントを起こしたりもできるし不思議な時代ですね。

それにしても一日一本って撮るのも編集もすごいことです。毎日何かをし続けるってすごいですよね。
わたしも今できる限り毎日ヴェーダーンタの勉強会にZOOMで参加していますが、その1時間ですらけっこう難しい時があります。
もちろん、それがハリを生んでくれることにもなっているのですが!
そう考えると、子供の頃毎日学校に通って、習い事もしていて、テスト勉強をしてバイトをしていたことってすごいですよね(笑)

今日はちょっと雑談でした。勉強ばかりしていてもなんですので、たまには息抜きしながらいきましょう。
それにしても誕生日が同じというだけで、どうして気になってしまうのかな!応援したいなと思っています。

ふりをしてみることから始めよう

ヨーガをしていると「まずは与えてみよう!」とよく言われます。そうはいっても、前澤社長のようにお金配りおじさんになるくらい(おばさん?)
はお金がありあまってもいないし、わたしには何も与えられるものはないような気がするなぁと思いませんか?たいていの場合はそうですよね。

スワミダヤーナンダジのビデオで「まずはふりをしてみることから始めましょう」というような講話がありました。
まずは親切な人のふりをして、できることをする。自分ができることをしてみる。とだんだんその振る舞いが自然になってふさわしい
人になってくるよというお話です。

私は子供がいないのですが、同世代、あるいはもっと若い人でもお子さんがいる人がいて、きっとはじめは親としての振る舞いがよくわからないけれど
だんだん、わかってきたりします。自然とそうなっていく、(なかなかそうならない部分もあるかもしれませんが)というのを友人を見ていても
感じることがあります。
もちろん、そのためには与えられないとわからないことがありますし、いろいろな自己犠牲をしてきたのに、だとか自己受容がまだだと
与えるという言葉に抵抗があるかもしれませんが、もしやれそうならちょっとしてみること、がバクティやプージャー(毎日のお祈り)でもかかわって
くるのかもしれませんね。


ふりをすることから始めよう。ちょっとできそうだなーとおもったらしてみるのもおすすめです。

最近はラーマーヤナなどの聖典を読んだり、マハーバーラタなどの聖典、あるいはアニメをみたりもしています。
聖典にでてくる登場人物は、たいてい私たちの中にもいるものだよ、といわれています。
意地悪な人や悪魔的な人物、逆に聖者もいます。どちらも自分の内側にあるものですよね。
読むことで実は全ては自分の内側にあるんだなと気がつくことで、発見があるという感じがします。
ヨーガでは聖典を読むというのも大事なこととされていますが、日本ではちょっとよくわからないですよね。
少しずつ読んでいくと、人生でつまづいたときにふとしたときに気がつかされることもあるかもしれません。

現代版 ラーマーヤナ物語

ご興味がある方いましたら、読んでみてください。インドに精通した人の解説があるとなお良しです。


現代版マハーバーラタ物語

バガバットギーターもこの一節だと言われています。
いろいろな方が書かれているので、合うものを探してみるのも楽しいですよ。


ではでは。対面やオンラインのヨーガは変わらず行っています。
銀座がけっこういっぱいになっているので、オンラインでの瞑想クラスなどもできたらと思っていますし、ヨーガ哲学のクラスなども
できていけばと思っています。動画も撮りたいですね。セラピーなど含めて、カウンセリングもっと気軽にお話したいなどあれば
mayuchi22@hotmail.com などにお問い合わせください。

ではでは。少しずつ秋を感じるような感じになってきたかな?

人生を生きるとは?

「生きる」とは一体なんでしょうか?物理的には朝になると目が覚めて、日々呼吸をしていれば生きることができます。
しかし「人生を生きる」というのはなんでしょうか?違いっていうのはあるのかな?同じような気がする?どうでしょうか?
人生を生きるという時に一番大切なことが「人と関わる」ということなんだそうです。人と関わることなしに人生を生きることはできないのだそうです。寝ている時、は「生きている」けれども熟睡しているという時には人と関わっているわけではないですよね?だから「人生を生きている」わけではないのです。夢を見ている時には、人が登場したりもしますよね。ということは、夢を見ている時には「人生を生きている」と言えるのだそうです。なんだか不思議ですよね。

人と関わること、世の中では人間関係に参ってしまったりトラブルが起きたりして「もうできるだけ人と関わり合わないようにしよう」とおもうひともいるかもしれません。悩んだり苦しんだりして、もうひとりでいいやーだなんて思うかもしれませんが、関わることということが「人生を生きる」ということなんです。

そうなんです。「人生を生きる」というのは反応するということなんですね。たしかに、人と関わるといろいろな反応が起こりますね。「好き」だとか「苦手」だとかいろんな感情が巻き起こります。いいとか悪いとか思う前に脳が反応している、という感じかもしれません。
イーシュワラからみたら完璧なのですが、客観的に物事を見られるかというと、きっと多くの人がなかなかそうはいかず、客観的と主観的、半々に見ている人もいるでしょうし、主観的に見ている人もいるでしょう。過去の記憶だとか体験だとかが主観的に見せている場合もあるかもしれません。

客観的な視点を持つ時に、大切なのはいつも「あなたは変わらない」ということなのです。役割は変わるかもしれません。お母さんだとか娘だとか、お父さんだとか息子だとか。先生になる人もいれば生徒になる場合もあります。だけど、あなた自身は変わりません。
物事を客観的に見るために、まずは自分が「主観的な見方になってしまっているんだ」と気づくこと。そして役割や周りが変化しても自分はまったくかわらないのだと(役割が変わることはあっても)気がつけるかどうかがヒントになると言われています。

わたしも、ヨーガのクラスを教える時は「先生」という役割がありますが、ヴェーダーンタを学んでいる時には「生徒」になります。母親の前にいれば、「娘」という役割がいるし、友人の前だと「友達」という役割になります。けれど、その役割は役割として存在しているんですね。変わらないわたし、のことをアートマーといったりプルシャと言ったりもします。

ヴェーダーンタを勉強すると、実は世の中で言われていることと逆のように感じられるな!と思うことがしばしばあります。
日常では外側のものを得ようとして、外側のうつろいやすいもので判断しようとします。しかし、ヴェーダーンタを勉強し始めると、あれ?逆だったかも、時がつけるようになります。「私がしているんだ!」という自我がなんだか小さくなり「イーシュワラに運ばれているんだ」「選んでいると思っていたけれどそれすらも与えられていたのだ」と気がつけるようになっていきます。これがとても不思議です。
今のインドのモディ首相もスワミダヤーナンダジの生徒さんだったと聞いて驚きました。そして政治のお話でもヴェーダーンタのお話をするのです。
これはすごい!と思いましたね。全ては愛なのです。人との関わりの中で「愛」がなんらかの形で見いだせるといいですね。与えることもそうですし、受け取ることもそうです。どちらも起きていくことだということを時々思い出してみてくださいね。ではでは、また!


⭐️まゆさんのセラピー、ヨーガなど
オンラインでのヨーガや瞑想、そしてカウンセリングやヒーリングなど様々行っています。
オンラインの瞑想は、体が痛くても運動ができなくても取り組めるようにしています。
mayuchi22@hotmail.com

夜のクラスはヨガまるさんのオンラインで行ってもいます。
昼間、土日などは個人のオンラインが中心です。
心穏やかになれるような時間を作っていきます。

みんな見たいところを見ているし読みたいところを読んでいる

ヨーガのヴェーダーンタの勉強を続けている。授業中、スワミダヤーナンダジの話してくれたことの書き起こしを読みあいながら話し合ったりするのですが、もちろん、人により理解度やイーシュワラについてなどもそれぞれなのはよくわかるのですが、なによりも毎回人それぞれフィーチャーするところが全然違うというか、10人いたら10人の見方や目に止まるところが異なるので、いい意味で「人って見たいところを見ているのだなぁ」という感じがしています。

例えば、10行の文章があったら書き手は10行目がいいたいことだったとして、だけど読み手は3行目に共感するかもしれないし、5行目に共感するかもしれない。それぞれ違うわけです。
(そしてそれも悪いことではないし、いろいろな視点が生まれて良いのだと思うのです)

ヴェーダヴェーダの最後のヴェーダーンタもたくさんのサンスクリット語があるわけなのですが、その用語があるからそうなんだという頭でわかるということではなしに「腑に落ちる」ということは人それぞれのプロセスがあります。(わたしはサンスクリット語をできるだけ少なく説明できるようになれたらと思っていますが)そして、知れば知るほど謙虚にならなければならないのだなあーという感じがしてきます。

学生の頃だとか、20代前半のときは、こういったことを知らない上に怖いもの知らずですから、とっても強気でした。しかし、謙虚な人に触れると「これはすごい!」となるわけです。これは自分を卑下するということではなしに、いろいろな知識を知ることでなんとなく自分の器が深くなるという気がします。

今日は、ラーガ(好き)ドヴェーシャ(嫌い)のお話も出てきました。

無知を落とすことで少しずつ、知恵が身についてきて、わたしたちはエゴではなく「アートマン」であり、すべてはイーシュワラの計らいなんだ、寸分たがわずイーシュワラ=愛で運ばれているんだときづくようになるために繰り返しヴェーダーンタを学んでいるのです。
しかし、このヴェーダーンタにである人というのは、幸運な人だそうで誰でもかれでも出会うわけではないそうです。まだ準備ができていないひとがであってしまうと「こんなの信じられない!」という批判的な気持ちになることすらあるそうですから、タイミングというのもあるかもしれないですね。
(わたしも10数年前はほんとうによくわからなかった!)

また、こちらについても続けて書いていくことにします。暑いには暑い日々ですが、立秋を過ぎて少し夕方以降涼しさがほんの少し顔を出す日も増えましたね。みなさまが生きていることが幸せだと思う日々が増えますように。

まゆさんのセラピー&ヨガ

プライベートセッションやヨガも行っています。オンラインでも行っていますのでどこからでも参加できます。お会いしたことがなくても、文章を読んでいて受けてくださる方もいます。
お気軽になんでもお問い合わせください。パークヨガやその他、なんでも行っています。
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メールをいただければ折り返しご連絡します。

ではでは。

「アイ・アム・マリス」を観て

今年は皆さんそうかもしれませんが、お家にいる時間が増えているかもしれません。
コロナのことが一番大きいでしょうか?

今はお盆ですね。東京は1ヶ月早いお盆の風習なようですが、お店をしている人はお休みにしている人も多いみたいで近所の商店街などはちらほらとシャッターが閉まっています。都内の人もどこにもいけそうにないし、知り合いは都内のホテルに泊まってみようだとか、都内から都内なら文句ないでしょうとちょっと遠くの多摩の自然を満喫している人もいたりと人それぞれのようです。私はオンラインヨーガが変わらずあるくらいで、あとはヴェーダーンタの勉強会もオンラインで、とあまり変わることもないのですが本当はどこか自然溢れる場所で大の字になりたいなという願望はありますよ。みなさんはどうですか?

自粛中からnetflixなど観ている人も多いみたいですね。わたしは遅ればせながら、みたいものがあったので1ヶ月だけ入ってみようと800円のプランを申し込みました。10本みれれば一本80円…。こんなことでいいのかと思いますが、お家時間の充実のために一ヶ月導入してみています。今はどうしてもお家にいる必要がある人も多いので、映画やドラマやドキュメンタリーがお好きな方はおすすめです。

アイ・アム・マリスはアメリカのドキュメンタリー映画

前置きが長くなりましたが、昨晩はたまたま見つけた「アイ・アム・マリス」というドキュメンタリーを見ました。アメリカの一人の少女、どちらかというと精神的に不安を抱えていて、大きな病と診断されてしまったマリスがヨーガと出会い、見た目はヘルシーにどんどんなっていくけれど、今でも不安は抱えていてそれを隠すことがなくなったというお話です。

私もヨーガを長くやっていますが、ヨーガの道に入る人は大なり小なり、肉体的、精神的に何か抱えたことをきっかけに出会う人が多いのではないでしょうか?
わたしも体調不調が著しかった頃、3歳から父がはじめていたヨーガが人生に再登場することになりました。そして、ちょっと変な話ですが神経細やかな人というのは、特徴です。ヨーガをすると陰陽がめくれるようにいい面が見えてきたり変化しますが人間なのでなくなるわけではありません。季節の変化や体調、忙しさなど様々な要因でそれがでてくることがあります。でも、それは悪いことではありません。そこに「気づく」ことができるようになると変化していきます。

ヨーガをしていない時、きっと周りの心配するだけする人という声を聞いて、その心配を膨らませていたかもしれません。現在もそんな人もいるかもしれません。ですが、気づいて、行うことができるのです。アーサナヨーガ(ポーズをとる、呼吸をする)だけではなく、聖典の勉強をして内側と向き合ったりすることで気づくことで意識が変わっていき、見えるものが変わっていきます。

マリスは、見た目はもう強い女性のようにみえますが、弱さを認めて伝えられるようになることで世界中の多くの女性が共感し、またサポートを求めるようになりました。しかし、彼女はまだ大学生(公開された時には何歳かはわからないのですが)で、まだ変化の途中なのだと思います。そしてその弱さともつきあっていくということを認めているところがとても素敵だなと思いました。

この「アイ・アム・マリス」はヨーガをしている人になかなか共感が持てるようなお話かなと思います。しかし、Netflixにはいらなかったら一生見ることがなかった作品かもしれないので、こんな出会いも良いものだなーと思いました。

I AM MARIS: Portrait of a Young Yogi (Trailer)

✴︎まゆさんのセラピー&ヨガ
オンラインヨーガやセラピー、密をさけたパークヨーガや小さなスタジオなどで行っています。
mayuchi22@hotmail.com にご希望の内容や日時などのメッセージをお送りください。

月曜・水曜 20時半〜 ヨガまるオンラインにてリラクゼーションヨガ&ブレス
月〜金   プライベートレッスンや少人数を中心に空いている時間は遠隔ヒーリングなども行っています。

プラサーダって知っていますか?

ヨーガをしていたり、なにかインドからスワミジと呼ばれる方がいらっしゃったり、例えばアンマとか聖者が来たときにも「プラサーダいかがですか?」なんて、聖者がお祈りしてくれたチョコやお菓子を(数百円とかそういう感じですが)会場で売っているのを見たことがある人はいるかもしれません。
これは、ただチョコが美味しい、というだけではなくて 笑 祝福された捧げ物を、周りの人におすそ分けしたりすることで当日行けなかった家族やお友達にもエネルギーや素敵な出来事をおすそ分けする感覚で私は捉えていました。(といいつつ、甘いものが好きなので自分で食べてしまうこともしばしばあるのですが)そういえば、スワミダヤーナンダジの5日間のキャンプの最後もプラサーダの時間があって、カバンや飴やお花だったかな参加してくれた人みんなにひとりひとりくれる時間があったのです。わたしはびっくり!してたくさん涙を流したことを記憶しています。なんだかよくわからなかったんですが、感動したんですね、その時間が。もちろん何百人の人にみんなにお土産を用意してくれていることももちろんすごいとおもったのですが、なんだか訳がわからない感覚だったのを覚えています。そのときに「プラサーダっていうんだ!なんかすごいよ!」という感覚になりました。言葉で説明するのが難しいですね。

本来、プラサーダというのは「ご機嫌」とか「朗らか」という意味なんだそうです。(今学んでいるスワミダヤーナンダジの勉強会などで教えてもらいました)よくヨーガでは「したいこと」と「すべきこと」など、ダルマだとかいろいろ勉強していきます。現代ではyoutubeなどでヒカキンさんなども「好きなことで働こう」何て言いますが、逆に言えばそれだけ「したいこと」と「すべきこと」が分かれている人もたくさんいるということですよね。週末は遊ぶために、平日は好きではないけれどもお金のために仕事をしよう、というような感覚です。
みなさんはどうですか?

わたしは父親はよく「本当は検事になりたかったけれど、大学で法律を教えている。でも、まあまあ法律に関われて、当たらずとも遠からずだったからよかったんじゃないか」と言っていて、要するに半分くらいは好きなことを仕事にしていたので、授業の予習のためにあぐらをかいてお茶を飲みながら?本を読んでいる姿をみていたので「へー、お茶を飲みながら本を読むのが仕事なんだ!いいね!」と子供の頃の私は思っていて(笑)仕事に対してはあまり悪いイメージがなかったのです。でも、逆に言えば大人になってから9時〜6時みたいな仕事も体験して「うへー、これは大変・・・。ちょっと無理だなぁ」と思ったこともありましたし、逆にみなさんと同じように「お金のために働く・・・。つ、つらいよー」なんて体験もちゃんとしています。なかなか大変ですよね。

私が今また再び学び直しているヴェーダの宇宙観では、「あれがしたい、これがしたい」という願望を「ラーガ」といいます。そして「すべきこと」は「ダルマ」と言われます。 ヨーガで言う所の誰かを傷つけない(アヒムサ)だったり、親切にやさしくすべきというダルマな生き方をしようとはわかっていても、やりたいこと、願望(ラーガ)が高まってくると、いつのまにか嘘をついたりごまかしたりということをしがちなんだそうです。
では、「すべきこと」と「したいこと」が違っている人はいけないことなのでしょうか?悪いことなのでしょうか?
ヴェーダはすべては「無知」から来るよと伝えています。ヴェーダの文化を知る人は、人の成熟とは、先生の教えるヴェーダヴェーダの最後の部分のヴェーダーンタを学ぶことで無知を落としていくことでじつは「したいこと」と「すべきこと」が実は一つだったんだよということに気づかされていくそうです。
私も運良くお会いできたスワミダヤーナンダジはそんなひとでした。実にご機嫌に生徒さんを笑わせながらヴェーダーンタを教えたり、インドにたくさんの学校を作ったりという方だったのです。



47 Different types of bhaktas
鼻が高くて可愛い顔をしています(笑)とにかく生で聴いたとき歌がべらぼうにうまくてこぶしがすごかった。圧倒された記憶がありますw

全体を知ることで、不安から安心へと変化していきます。

よく人生塞翁が馬なんていいますが、一見悪いことのように思えても、それが実はすごくプラサーダだったということというのはたくさんありますよね。
全体が見えないときにはとっても不幸に見えてしまうということはいっぱいあります。しかし、一つ何かに気がつくと「あ!あれもそうだったんだ」などとコインの裏が表に変わるように見方が変化していきます。宇宙、イーシュワラからすべてが与えられているということに気づいたときに、地球には空気があったり土、水、太陽、体などすべてが与えられたプラサーダなんだなということに気がつきます。ヨーガの文化、ヴェーダの文化にはいろんなお祈りがあるのですがそれも実は「与えてくれていることに気づく」ためのものだったりするのかもしれませんね。

ヨーガではモークシャと呼ばれる自由をゴールとして目指していると言われていますが、ごく一般的な考えだと何かができるようになって、(悟れたら、とか綺麗な体になって瞑想ができるようになったら〜とか)モークシャに到達するような気がしますよね。でも、実は違うんですよね。死後に到達するものでも限られた人に起こることでもありません。
実は。。。私たちはすでに自由なんです・・・。え!実はすでにモークシャであることに気づいていないだけなんです。

なかなかわからないというひともいますよね。(私もまだ無知を落として行っている途中です)
まずは、もし目の前にプラサーダを受け取る機会がありましたら受け取ってみてください。そして、またなにか感謝したりお祈りの言葉を捧げたり、ヨーガをされていたらマントラやシェローカを歌ってみたりしましょう。そして気づいていくことからなにか「あれ?もしかしたら私が不自由と思っていたのはそうでなかったのかもしれない?」という不思議なことに気づいていくかもしれません。

わたしは2010年くらいにスワミダヤーナンダジに出会っていたけれど、その後ヴェーダーンタのお話がわからなく感じるようになってきくのをやめてしまったり人生でもずいぶんいろいろなことがあったように思います。でも、スワミダヤーナンダジはずっと待っていてくれたんだなー。これがとても不思議です。(といっても2015年に体から離れられていますが)そしてやはり準備ができた人にはその扉が開かれるようになってきていると思います。

さて、今日はプラサーダについてかいてみました。すこしまとまりがなくなってしまいました!今年はアンマも日本には来れないですし、プラサーダを頂く機会というのはすごく少ないかもしれませんが、何かの際に思い出してみてください。なにかつながっていくときがきますよ。


まゆさんのヨーガとセラピー
・プライベートオンラインレッスンやパークヨガ、遠隔ヒーリングなど随時行っています。相談も承ります。「こんなことを学んでみたい!」「こんなことを知りたい!」というひとはカウンセリングも行っています。今は色々と不安なことも多いかもしれませんが、ひとつひとつ助け合いながら生きていきましょう。
mayuchi22@hotmail.com までです。

よがまるさんの夜のオンラインクラスも行っています。今はキャンペーンなどもしていますのでご活用ください。
www.yogamaru.net
私は月水の20時30分〜のクラスです。

都合がつかないよという人は個人的にも対応していますのでお気軽にどうぞ。

熱中症にも気をつけて水分を取ったり必要なものを取り入れて過ごしていきましょうー!

映画「ペイ・フォワード」 を鑑賞して

 もう今から10年くらい前になるのでしょうか?当時鎌倉に住んでいた私は鎌倉のヨーガコミュニティによく参加していて
そこで好きだったゆみこせんせいという先生がいまして、よくお話しさせてもらっていました。
(今は2児のママで変わらずに戸塚方面でヨーガを教えられていると思います)
 そこでゆみこせんせいは当時、あるお寺でもヨーガを教えられていたように記憶しているのですがそのフィー
(月謝のような、レッスン費のようなものです)が恩送りという制度を取っているというお話しをしていたように
記憶しています。恩送りというのは、自分が体験したということで相手に直接お金を払うというよりは
別の人に送ること。すなわち、また別の人がヨーガを受けたときのために恩送りとしてのお金を払うという感じです。
その金額は決まっていなくて、自分で金額も決めていきます。その時「映画でもペイフォワードっていうのがあってすごくいいんですよー」と話してもらった記憶があるのです。当時、自分だけのテレビを持っていなかった私は(シェアをしていました)、DVDを借りてみるといったことはしなかったのでそのままになっていました。

しかし、最近再びヴェーダーンタの勉強を再開した時にクラスの費用は「ダクシナ」(寄付制)になっていました。いわゆる伝統的に学ぶ勉強はこの制度を利用していることが多いのですが、決まった値段ではなく、受ける人が払える金額で、この勉強システムがずっと続くように寄付をしていくというものです。もちろん強制ではなくて、事情がある人は金銭的な形ではなくなにかしらかの奉仕(センターで食事を作るとか、スタッフとしてお世話をするなど)でダクシナすることもあるかもしれないし、通常のクラスの時には封筒にいれてお渡しするので誰がいくらかというのはわからなかったりします。オンラインの場合は振り込んだ金額がわかりますが、それでも金額を強制しているわけではありません。あくまでも、センターの維持費を含めて長くこの教えを自分以外の人もきけますようにというための寄付なのです。これって、なんだかペイフォワードに似ているなぁ!とふと思い出したのです。
そして調べてみたところ今はyoutubeで有料ですが見ることができるようになっていました。

Pay It Forward - Trailer


ペイ・フォワード [DVD]

DVDも見つけました。



映画ペイ・フォワードでは、親切を受けたら3人の別の人にその恩を返していくというような内容で
それをしていくことでどんどん親切が広がっていくだろうという仮説を少年が立てて行ってみます。
少年がしてみると、それは思ったようには行かず、まるで夢物語のようなものだろうとクラスのみんなはバカにしますが
その小さな行動がすこしずつ社会に変化を生んでいって…。

というようなお話でした。(映画ではすべてがうまくいくわけではない、というところもミソなのですが、それは現実でも同じですよね)
今はペイ・フォワードの考えを実践したレストランも世界ではあるようです。

ペイ・フォワードの考えを実践したレストラン|A LETTER FROM LOS ANGELS

greenz.jp
このような記事も見つけました。

現在は、日本を含めて資本主義ですし、ペイ・フォワードという考えはまだまだ浸透しているわけでもなく行う方も試行錯誤だそうです。なかなかいくら支払えばいいのかわからないというのは難しいですよね。封筒を置くと払わなくてはいけない気がするし、任意というと払わない人が多く出てきても困ってしまいます。きっとダクシナという制度もそうかもしれません。私がインドにいったときもアシュラム(施設)のお食事や先生への代金というのはダクシナだったので(先生からいくらくださいということはありませんでしたが、いろいろなことを手伝ってくれた日本の方が先生からはそういうことをお伝えすることはないのでお支払いしてね、と言われた記憶がありました)、インドを含めヨーガを学んだりするところでは少し根付いているところもあるかもしれません。

ヨーガの考え方と同じように、はじめからすべてペイ・フォワードで行おう!と思ってもうまくいかないかもしれませんが、一ヶ月に一度そういうクラスを作ってみようかな?と思ったり、逆に受ける側としてダクシナを利用したもの受けてみるというのも「相手以外の誰かに恩を返していく」という練習になるかもしれません。セーヴァーといって、なんでもいいんですけれども奉仕する(行動でも、知識でも自分ができることを)ことでもいいかもしれませんし、お金がある人は多く支払ってみる、ということもいいかもしれません。「ペイ・フォワード」「恩送り」という考えがあるんだよ、と知るだけでも善意の輪が広がっていくような気がしませんか?なんとなくわたしは久しぶりに心が洗われた気がしました。

まだ見たことがなかった!という人は、ペイ・フォワード

ペイ・フォワード [DVD]

どこかでぜひ見てみてください。おすすめしますよ。

⭐️mayuさんのヨガ・セラピーなどは
mayuchi22@hotmail.com まで。
パークヨガやオンラインクラス、など色々と行っています。
小さなスタジオ、オンライン、プライベートなどともに予約制です。
遠隔ヒーリングなども引き続き募集しています。
希望日の2、3日前までにはお申し込みいただくとスムーズです。
初めましての方も、いつもご利用になっている方もお気軽にどうぞ。

パークヨガをやっております。

 今日はパークヨーガを開催しました。昨今いろいろあるので密にならないように
野外でプライベートで行いました。
 
 木陰の下で暑さもしのげて時折風も吹く中でのヨーガはとても気持ち良いものですね。
都内とはいえ、都心でなければ人の数もまばらですので安心してヨーガできました。オンラインもいいですが、屋外というのもよいものですね。

 今はきっと室内にいてオンラインでのテレワークや、大学生や社会人でも勉強されている方はやっぱりオンライン。1日パソコンの前にいたら鬱々としてきたり肩も凝ります。筋トレだけではなくて、リラックスする時間もあることでストレスも解消されたり、何よりも自分への肯定感が生まれてきます。わたしはヨーガで頑張ろうという内容のものをしないのであくまでもリラックスして1時間ちょっとを、自然と共に自分と調和しようというクラスを行っています。
いつでも連絡してくださればお外でのヨーガも調整します。プライベートだと少し高くなってしまうかもしれませんが、ダクシナ(寄付)でするときもつくろうかなとおもっています。それはわたしがいまヴェーダーンタの教えをダクシナで学んでいる(教材費は抜かして)からなのです。ダクシナというのは、大事な文化でしてまたいつかお話しします。今の時代の人は値段が決まっていた方が安心したりもしますが、その文化が素敵なので時々はそんな機会をもうけます。(でも、それだとよくわからない、教えてもらった方が気が楽だという人はお伝えするので安心してくださいね)


 さて。サンスクリット語で「私」という言葉を辞書で引くと「満足」ですとか「安心」という訳が出てくるそうです。
それはすなわち「私」というものが、すでに「安心」や「満足」の源であるということをヴェーダでは教えてくれているのです。何かを成し遂げるから、安心ですとか、何かを手に入れたから満足というものではじつはないのだということをヴェーダでは学びます。そしてその誤解は「無知」からくる、ということも教わります。

とはいってもなかなかそうは思えない。のでなんども伝統に基づいた言葉を何回も何回もスワミジからきいたりするのです。インドやバラタの文化では、家族から教わったりもしますね。もちろん、これは無理に頭でわかろう、とすることではないので無知が落ちる、という言い方をするのですけれども、なんだかそうかーと気づいていくという感じです。わたしも12年前はなにか引っかかりを感じて、それ以上意味がわからなくて聞くことができなかったなぁということを記憶しています。

 ヨーガというのは、体を動かすいわゆるアーサナヨーガというのはヨーガのごく一部なのです。カルマヨーガと言って、行動することもヨーガだし、バクティヨーガといって奉仕することもヨーガです。いろいろなものがあるんですよね。瞑想への道に入るにはアーサナヨーガがとても役に立つことも多いので、アーサナ(いわゆるポーズをあれこれとってみるというもの)も取り入れています。そして長くヨーガに取り組んでいる人は、次第に実生活でなにかヨーガのお話しで聞いたことを取り入れていく実践を繰り返していくのです。そしてそれは、何かを得るために行うというものではなくてもしかしたら、「すでにあるのだ〜」ということに気づくために行っていることもけっこうあるのかもしれない?ということに気づいていけるとハッピーですね。というか、実はすでにハッピーだったりするんですけどね。生きていること自体が!
パークヨーガからずれてきましたが、梅雨も明けましたし人がいない公園でのパークヨーガもいつも受け付けています。自然との調和、ハーモニーが感じられて
「あれ、ありのままでよかったんだ」ということに気づけるかもしれません。そんなきっかけになれば嬉しいです。

ではでは。
ヨーガやセラピーなどすべての宛先は
mayuchi22@hotmail.com までです。
パークヨーガや遠隔ヒーリング、インターネットを使ったお話しを聞いたりする時間など
いろいろと行っています。

そして、ヴェーダンタは、もう亡くなられてしまいましたがスワミダヤーナンダジに学んでいます。以前、新宿の常円寺に来日した時のキャンプには5日間参加しました。ヨーガを長く学ぶ中で、節目節目にスワミダヤーナンダジを思い出させる出来事がありあーこれは、きっとなにか大事なことを教えてくれようとしているんだな!と思い当時、通訳を行っていたチェータナ先生(今はスワミチェータナナンダジと言われています)に再び連絡し、今はまた少しずつ学び直しています。私の解釈にならないように、こちらは伝えていけたらなーと思っています。自由と革新が大好きな私が伝統を大切にするというのも少し面白いことだなーと思いますし年をとったのかな!とちょっと思ってしまいます。わはは。



 

HEAL 癒しの力 自己治癒力の秘密を読んでいます

 コロナの自粛中から、何かすることはないかなー?と少し思い、文通のような感じで少しずつアナログのお手紙を書き始めて
います。たくさん書くというより、気が向いたときに、思い出した友人などに送っている感じです。
これが結構楽しくて、メールなどでもやり取りは十分にできるけれど、すぐに返事がこないというのがかえってよかったりします。
現在ってどうしても「すぐ」結果を求めたり反応を求めたりしがちです。自分を含めて「待つ」という行為が、
なかなかできなくなってしまっているようにも思えるのです。

 そんな中、ヨーガな友達のひとりからお手紙と本が届きました。
www.amazon.co.jp
HEAL 癒しの力 自己治癒力の秘密
という本です。

癒しについて書かれたとても素敵な本です。
 

ザ・シークレット (角川書店単行本)

もともと、この「ザ・シークレット」は人気があったと思いますが、こちらの翻訳も手がけている山川ご夫妻が
翻訳している本です。優しい日本語で書かれていますので、安心して読めます。


私たちの自然治癒力の大切さを教えてくれています。
今も世の中はコロナなども(あまりにも長い期間なので少し麻痺してきているかもしれませんが)ありつつ、
どうしても「誰かがなんとかしてくれる」のを待つというスタイル、が社会になってきてしまっていて
本当は自分自身の自然治癒力があることなど忘れてしまいがちです。
ほんとうは誰かのせいにしたり、心配したりすることは逆効果で
ヨーガでもヴェーダーンタで習ったことは
「ダルマを生きるものはダルマによって生かされる」という言葉があります。
ダルマ、というのは自分がすべきこと、と言われているのですが
人にされて嬉しいことを自らがしてみるサーマンニャ・ダルマ」だったり
自分の状況によって変化するダルマ「ヴィシェーシャ・ダルマ」だったり
これを生きることによって、すこしずつ「自分自身が安心できる存在」であると気がつくことで
必要以上のパニックからも解放されるかもしれません。

今はNetflixでも、HEALを見ることができるようですので、まだ見ていないよというひとは
本でも、映像でも見てみるのもオススメします。
少し心穏やかになるだけでもとても安心した気持ちになります。


✴︎ヨーガやセラピー、ヒーリングのお知らせ
今はスタジオは少なめです。遠隔やオンラインを中心に行っています。
coubic.com
こちらでは、月曜日と水曜日の夜20時半からのクラス。
プライベートオンラインヨーガはメッセージを頂くと個別に対応しています。
遠隔ヒーリングなどもその都度行っています。
今後は、ヴェーダヴェーダーンタの教えをシェアしたり、デヴァナガリー文字についてももう少し深めていけたらと思っています。
様々なことに悩んだり落ち込むこともあるかもしれませんが、物理的なことと精神的なことと分けて考えて
できることからしてみましょう。

mayuchi22@hotmail.com まで。