ヨギーニmayuさん モークシャへの道!

ヨガ、セラピー、宇宙、ヒーリング、文章。旅その他つれづれとかいています。

プラサーダって知っていますか?

ヨーガをしていたり、なにかインドからスワミジと呼ばれる方がいらっしゃったり、例えばアンマとか聖者が来たときにも「プラサーダいかがですか?」なんて、聖者がお祈りしてくれたチョコやお菓子を(数百円とかそういう感じですが)会場で売っているのを見たことがある人はいるかもしれません。
これは、ただチョコが美味しい、というだけではなくて 笑 祝福された捧げ物を、周りの人におすそ分けしたりすることで当日行けなかった家族やお友達にもエネルギーや素敵な出来事をおすそ分けする感覚で私は捉えていました。(といいつつ、甘いものが好きなので自分で食べてしまうこともしばしばあるのですが)そういえば、スワミダヤーナンダジの5日間のキャンプの最後もプラサーダの時間があって、カバンや飴やお花だったかな参加してくれた人みんなにひとりひとりくれる時間があったのです。わたしはびっくり!してたくさん涙を流したことを記憶しています。なんだかよくわからなかったんですが、感動したんですね、その時間が。もちろん何百人の人にみんなにお土産を用意してくれていることももちろんすごいとおもったのですが、なんだか訳がわからない感覚だったのを覚えています。そのときに「プラサーダっていうんだ!なんかすごいよ!」という感覚になりました。言葉で説明するのが難しいですね。

本来、プラサーダというのは「ご機嫌」とか「朗らか」という意味なんだそうです。(今学んでいるスワミダヤーナンダジの勉強会などで教えてもらいました)よくヨーガでは「したいこと」と「すべきこと」など、ダルマだとかいろいろ勉強していきます。現代ではyoutubeなどでヒカキンさんなども「好きなことで働こう」何て言いますが、逆に言えばそれだけ「したいこと」と「すべきこと」が分かれている人もたくさんいるということですよね。週末は遊ぶために、平日は好きではないけれどもお金のために仕事をしよう、というような感覚です。
みなさんはどうですか?

わたしは父親はよく「本当は検事になりたかったけれど、大学で法律を教えている。でも、まあまあ法律に関われて、当たらずとも遠からずだったからよかったんじゃないか」と言っていて、要するに半分くらいは好きなことを仕事にしていたので、授業の予習のためにあぐらをかいてお茶を飲みながら?本を読んでいる姿をみていたので「へー、お茶を飲みながら本を読むのが仕事なんだ!いいね!」と子供の頃の私は思っていて(笑)仕事に対してはあまり悪いイメージがなかったのです。でも、逆に言えば大人になってから9時〜6時みたいな仕事も体験して「うへー、これは大変・・・。ちょっと無理だなぁ」と思ったこともありましたし、逆にみなさんと同じように「お金のために働く・・・。つ、つらいよー」なんて体験もちゃんとしています。なかなか大変ですよね。

私が今また再び学び直しているヴェーダの宇宙観では、「あれがしたい、これがしたい」という願望を「ラーガ」といいます。そして「すべきこと」は「ダルマ」と言われます。 ヨーガで言う所の誰かを傷つけない(アヒムサ)だったり、親切にやさしくすべきというダルマな生き方をしようとはわかっていても、やりたいこと、願望(ラーガ)が高まってくると、いつのまにか嘘をついたりごまかしたりということをしがちなんだそうです。
では、「すべきこと」と「したいこと」が違っている人はいけないことなのでしょうか?悪いことなのでしょうか?
ヴェーダはすべては「無知」から来るよと伝えています。ヴェーダの文化を知る人は、人の成熟とは、先生の教えるヴェーダヴェーダの最後の部分のヴェーダーンタを学ぶことで無知を落としていくことでじつは「したいこと」と「すべきこと」が実は一つだったんだよということに気づかされていくそうです。
私も運良くお会いできたスワミダヤーナンダジはそんなひとでした。実にご機嫌に生徒さんを笑わせながらヴェーダーンタを教えたり、インドにたくさんの学校を作ったりという方だったのです。



47 Different types of bhaktas
鼻が高くて可愛い顔をしています(笑)とにかく生で聴いたとき歌がべらぼうにうまくてこぶしがすごかった。圧倒された記憶がありますw

全体を知ることで、不安から安心へと変化していきます。

よく人生塞翁が馬なんていいますが、一見悪いことのように思えても、それが実はすごくプラサーダだったということというのはたくさんありますよね。
全体が見えないときにはとっても不幸に見えてしまうということはいっぱいあります。しかし、一つ何かに気がつくと「あ!あれもそうだったんだ」などとコインの裏が表に変わるように見方が変化していきます。宇宙、イーシュワラからすべてが与えられているということに気づいたときに、地球には空気があったり土、水、太陽、体などすべてが与えられたプラサーダなんだなということに気がつきます。ヨーガの文化、ヴェーダの文化にはいろんなお祈りがあるのですがそれも実は「与えてくれていることに気づく」ためのものだったりするのかもしれませんね。

ヨーガではモークシャと呼ばれる自由をゴールとして目指していると言われていますが、ごく一般的な考えだと何かができるようになって、(悟れたら、とか綺麗な体になって瞑想ができるようになったら〜とか)モークシャに到達するような気がしますよね。でも、実は違うんですよね。死後に到達するものでも限られた人に起こることでもありません。
実は。。。私たちはすでに自由なんです・・・。え!実はすでにモークシャであることに気づいていないだけなんです。

なかなかわからないというひともいますよね。(私もまだ無知を落として行っている途中です)
まずは、もし目の前にプラサーダを受け取る機会がありましたら受け取ってみてください。そして、またなにか感謝したりお祈りの言葉を捧げたり、ヨーガをされていたらマントラやシェローカを歌ってみたりしましょう。そして気づいていくことからなにか「あれ?もしかしたら私が不自由と思っていたのはそうでなかったのかもしれない?」という不思議なことに気づいていくかもしれません。

わたしは2010年くらいにスワミダヤーナンダジに出会っていたけれど、その後ヴェーダーンタのお話がわからなく感じるようになってきくのをやめてしまったり人生でもずいぶんいろいろなことがあったように思います。でも、スワミダヤーナンダジはずっと待っていてくれたんだなー。これがとても不思議です。(といっても2015年に体から離れられていますが)そしてやはり準備ができた人にはその扉が開かれるようになってきていると思います。

さて、今日はプラサーダについてかいてみました。すこしまとまりがなくなってしまいました!今年はアンマも日本には来れないですし、プラサーダを頂く機会というのはすごく少ないかもしれませんが、何かの際に思い出してみてください。なにかつながっていくときがきますよ。


まゆさんのヨーガとセラピー
・プライベートオンラインレッスンやパークヨガ、遠隔ヒーリングなど随時行っています。相談も承ります。「こんなことを学んでみたい!」「こんなことを知りたい!」というひとはカウンセリングも行っています。今は色々と不安なことも多いかもしれませんが、ひとつひとつ助け合いながら生きていきましょう。
mayuchi22@hotmail.com までです。

よがまるさんの夜のオンラインクラスも行っています。今はキャンペーンなどもしていますのでご活用ください。
www.yogamaru.net
私は月水の20時30分〜のクラスです。

都合がつかないよという人は個人的にも対応していますのでお気軽にどうぞ。

熱中症にも気をつけて水分を取ったり必要なものを取り入れて過ごしていきましょうー!