突然ですが、ヴェーダーンタのお勉強をずっと続けて少しずつオンラインで教えております。 伝統的なグルパランパランというものに則って学び続けていてその伝統に基づき、お返ししている感じでしょうか。
再勉強を真面目にしだしてわかってきたことがあります。それは シャバアーサナをしたときに感じる一時的な至福というのはよく「ラサ」と呼ばれます。 いわゆる瞑想をしていてもときおりおとづれることがあるかもしれません。 サマディという人もいるかもしれません。
アーサナを主にしていたときやヒーリングをしていたときにも、大きな勘違いがあったなと思うのは そのラサ、やサマディが続くことで絶対的な満足(モークシャ)になるのかな?と思っていたのです。 だけど、全然違うんですね。ラサはラサなのです。 知識によってしかモークシャは得られない(というかもともとわたしたちはモークシャがあるのですが!) ということで、いつのまにかサマディハンターになってしまうところがアーサナを教えたり続ける人には あるかもしれないなーと振り返ると思います。
勉強してよくよくわかってきたことなのですが、わたしたちは肉体を持って生まれてきた時点で すでに「足りないセンス」を持って生まれてきているので「なにか足りないなー」と思うのも いたしかたないのです。もちろん「無知」によって隠されているといったりもするのですが それにより隠されていて、埃をかぶった鏡のようになっているだけなのですが 人間である以上は自意識もあるので、人と比べたりすることも当然なんですね。 もちろん、だからこそイーシュワラということを学ぶといろいろな法則に気づいて理解が深まって 無知が落ちていくわけなのですが、「一時的な満足の積み重ねが絶対的な満足に繋がるわけではない」 (もともとはわたしたちはアーナンダ(満足)そのものである、と気付くことが大切なのですよね) というのは最近なんだかはっ!となったことでした。
ヴェーダーンタ(人類普遍の法則)にたどり着くまでは (というか結局10数年前にダヤナンダジにはあっていたのですが ピンときていなかった部分も多いですが)、ヒーリングもどこか一時的な満足だったりつじつまが あわない(一時的には楽になったり、するのも本当なのですが)部分があったなぁとしみじみ。 それは自分自身のことが足りないと思っている限りは何にも解決されていないわけなのだものなぁーと。
わたし(アートマー)は、体でもないし、感情気分でもない(何で上がったり下がったりする人ではない) のですが、そのことが理解できない限りいろいろなことで一喜一憂するわけです。 (そして理解してもそれがなくなるというわけではなく、シャマ、ダマもあるかもしれない)
ちなみにモークシャというのは、サムサーラの輪の中にないというのもすごくポイントで ジョーティッシュの中に「いついつにモークシャになる」と書いてあることはないのだそうです。 不思議。そう考えると、自由意志ってすごいなぁと思いますし、少しずつでも今までの習性からは 自由な選択ができるし、(強いてはそれもイーシュワラの中にあるのですけれども) とっても楽な感じがしますよね。
わたしたちは自由な選択ができるといってもほとんどが習性の中から出られることはないのだそうです。 たとえばアメリカに行くとかどこか海外に住むとか環境をを変えることはできますが、 結局そのあとも同じことをしているなぁ、癖は変わらないなぁと感じることってありますよね。 動物は100%習性の中にいるのだそうですが、人間は少しだけ選択することができます。 人間だから選べるといってもいいかもしれません。そしてそれもまたすごいことなのですよね。 そしてさらにそこからモークシャを祈ろうとか、ダルマを選ぶなんてことをすることを すこしずつ繊細に見極めていく(ときにはウパーサナ瞑想などしながら)ことで すこしずつすこしずつ変わっていくのですね。
もちろん、アルタカーマ(安心とか、楽しみとか)を祈るのも悪いわけではないので必要なら 探求しても良いのですが、ダルマやモークシャとなっていったらいいなぁと最近ひしひしと思い始めています。
与えることで与えられないを越えなさいというダヤナンダジの言葉が最近いいなぁとしみじみとしています。
久しぶりのブログでした〜!
BHAGAVADGITA HOME-STUDY-COURSEバガヴァッドギーター第1章まで
バガバットギータ。テキストは先生に教わることが大切ですー。
✳︎小さなヴェーダーンタの会 いつでも行っています。平日の日中や夜(月曜日、水曜日以外)で行っています。 基本使用料プラスダクシナで行っています。とても楽しいのであっという間に時間が過ぎてしまいます。 なにかアーサナだけでは満たされない感じがするなぁですとか、ヒーリングをし尽くしたけど 何か違ったなという人は、人類普遍の法則を学んでみませんか? 人によっていろいろと使用するテキストが異なりますが、グルパランパランの伝統を大切にして行っています。