ヴェーダーンタでは「自分自身が満ち満ちている存在である」と言われています。
ぬくぬくとあたたかいところにいると「満ち満ちていると思える」 しかし…。
そしてそのことは、あったかいお部屋で何も申し分ない環境にいる時は
「そうだよなー満ちている」と納得しやすいですよね。自分自身のエゴが満たされている状態でもあります。
しかし、現実では、いつも「満ちている」と感じられないような気がする…。というときも
あるのではないでしょうか?
目の前の人が幸せだと、私も幸せに感じられるし、それがもっと広い範囲で、国全体が幸せだと幸せなどといった具合です。
では、目の前の人が幸せそうにしていない時、(なんらかの事情で、物質的にも精神的にも足りないセンスから
悩んでいたり、苦しいと訴えているようなとき)などはヴェーダーンタを学んでいると
「本当は満ちているし、わたしたちは全てが与えられているけれど、それを
悩んでいる人にどうやっていってあげたらいいかな?」
と思うものです。
共感と思いやりというのは異なりますので、
共感というのはただ一緒になって「つらいねー。苦しいね」ということですね。
でもこの共感には限度があって、そんな風にしているとどんどん自分も苦しくなってくるような気がする。
巻き込まれてしまうように感じられるのですね。(エンパスという言葉もあったりするかも)
そこで、「思いやり」をもって相手と関わるのです。
思いやりとは「理解によって自分ができることをすること」
よく学ぶと言われている「変えられることと変えられないことの識別」もその一つです。
自分ができることとできないことというのがありますので、自分ができることをする。
また、「外側のものを外側に置く」といった訓練も必要です。瞑想だとすこしリラックスして行いやすい
ことかもしれません。
その上で、理解を持って自分ができることをすることが
目の前の相手に対してできる「思いやり」なのかなと思います。
もちろん、「祈る」ということも含めてですが。
居心地の良さと幸せは異なるともいわれるそうです。
感情気分というのは、人間なのでなくなるわけではありません。
過去世などから培ってきたものもありますので、出し切るまではなくならないとも言われていますので
感情気分を悪者にすることなく、受け止めてお話を聞いてあげたり、できることをすることが大切なのかなと
思います。
ヴェーダーンタの理解はカルマヨーガを行うことで深まるそうです。
カルマヨーガなしでは理解したと言い難いともいえるのかもしれません。
(頭だけで知ったつもりになるということではないのですね。)
共感と思いやりの違い、私も日々頭に入れて行動できたらいいなと思っています。
mayuさんのヨガとセラピー
月曜日から金曜日までオンラインにてヨーガやセラピー、ヴェーダーンタの入門にまつわる座学なども行っています。
主にZOOMなどを使って、お話をしたり必要な呼吸法、瞑想の入り口、アーサナなどを行います。
午前クラスと夜クラスの二つがあります。プライベートのクラスが人気があります。
お気軽にお問い合わせください。
mayuchi22@hotmail.com までお気軽にどうぞ。
✳︎stand FMを開始しました。
https://stand.fm/episodes/6009a88e8ba7e1d7511de9ce
気軽におしゃべりしています。ヨーガのポイントや瞑想などもお話したり、日常の四方山話やヴェーダーンタについてもお話します。
お手隙の際にいつでもお楽しみください。ゲストになりたいという方も募集しています。