ヨギーニmayuさん モークシャへの道!

ヨガ、セラピー、宇宙、ヒーリング、文章。旅その他つれづれとかいています。

体はわたしではないけれど

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はじめてヴェーダンタの勉強を始めた頃、
「体はわたしではない」みたいなことを言われて
ど、どーいうこと?!

と思ったのを記憶しています。
わたしの体、ってのは自然なことかと思っていた。
だけど、たしかに頑張って心臓を動かしたり
わたしの意思で血を送ったりしているわけではないし
足を生やすように赤ちゃんの時にお願いした記憶もない。

ということは、やっぱり体はわたしではない。
だけど、なぜか大人になると体はわたしだと思うし
わたし、がすることがうまくいかないとかいいだす。
これは長年連れ添った家に愛着が沸く感じかな?
心臓を動かしたりしている人はわたしではないので
(脳もわたしはなにもしていない)


やはり全体像がわかるなにかが身体を作ったり
動かしたりしているような感じがする。
なかにいるわたしらしきもの、は意識なんだろう。
意識が見えたり形になっていないといろんなことができないので肉体はあるのだろう。

わたし、がなんとかしたい。だとか
わたしが、わたしが、と(子供の頃、そんなことありませんでしたか?)いう自我はアランカーラといいます。

たぶん、いろんな悩みを抱くのもアハンカーラだとか
自己尊厳がなかなか生まれず起きることもあるのかも。

あなたは実は幸せでした!と言われたら
「えー!つまらない。納得できない」
とアハンカーラはいいだすかもしれない。

感情はなくなるわけではないし、
怒りや悲しみは未消化のものは出てくるので
ウェルカム、と思えるようになるとよいと言われます。

ウェルカム!
といえたらよいですねぇ。

わたし、はからだではない。
不思議だけど、これは入れもの。
アハンカーラは、こんなんじゃないよう!というかもしれませんが、イーシュワラからみたら全部OK。

もちろん自由意思があるから、あれしたりこれしたりしてよいんです。選択できる。
でもそれすらイーシュワラはわかっているんですね。
やー、でかいでかい。

思っているより大きな安心がわたしたちみんなを包み込んでいるという理解が深まりますように。