5つの鞘 パンチャ・コーシャってなんだろう?
今日はアーサナ(ポーズ)ではなく、パンチャ・コーシャという言葉のお話。ヨガの先生になるためのティーチャーズトレーニングを受けたり、詳しい本を読むと、体が五層に覆われている図を見たことがある人もいるかもしれません。
ヨガは、体操と同じようで実は「からだ」だけに働きかけているわけではないですよね。ここが普通のエクササイズとは異なり、「エネルギーワーク」だといわれる所以です。
今年、クラスによく来てくれるようになった生徒さんがしきりに
「痩せようとするならヨガじゃなくてもいいと思うんです。別に。ヨガってそういうんじゃないですよね? 呼吸とか瞑想とかもっと、なんていうかそういうことなんですよね?」と深いヨガ哲学やその用語など、あまりお伝えしていないのに毎回力説しています。
つまり、「ヨガって体にだけ働きかけるものではないですよね?スポーツとは違いますよね。毎回来るには何か理由があるんです」という感じでしょうか。彼女はとても頭が良いので、何か感じているみたいなのです。あるときを境に毎回きてくださるのにはなにか「ヨガの神秘」を感じてい
るように思えます。いわゆるオープンクラスではあまり難しいお話、ヨガ哲学などについてお話することはめったにありません。
しかし、始めて数ヶ月で「痩せるためではないと思う」と
言えるというのは、なんだかすごいなーと思っています。
ヨガは何のためにするの?ダイエットにヨガはいけないの?
今の私は、ヨガの入り口が痩せようと思って入ったとしてもいいかなと思っています。(昔はよく、ヨガはただのエクササイズじゃない!一緒にするんじゃない!って言っていたなぁ。少し丸くなったのですねw)
でも、同時にもしそれ(ダイエット目的)だけだったとしたらヨガを末長く続けることにはならないだろうと思ってもいます。もしダイエットだったとしても続けてくるにはおそらく理由があります。
だからヨガでからだが固いとか柔らかいとか、なんどもいいますがほんとうは、どーでもいいんです。
これはきっとこれからも何度もお伝えすると思います。
「体が硬いから、人に見られることが恥ずかしい」という言葉はヨガをやらない理由でよくありますよね。
実はほんとうは「ヨガの恩恵」というのは痩せるとか、柔らかくなる以外にもものすごーく!数限りなくあります。
体がシェイプするとかスッキリするにとどまりません。
なによりも普段の生活や意識が変わり、自分の癖に気がつき、今までとは異なる選択ができるようになります。
ヨガを通しての気づきが日常生活に変化をもたらしてくるということのほうが重要なのです。
「気づき」やアハ体験が自分の体で起きる 革命的な喜び
先日、久しぶりに
(ありがたいことに今年は毎月火曜日の半分以上が代行のクラスを持つ日が多く、すこし疲れも起きるので、夜に自分の練習でスタジオにいくことはほとんどなくなっていたのですが)
今年も終わりに近づいたので、YOGAの先生がよく練習をしたりトレーニングを受けたりする代々木にあるUTL(アンダーザライト)にいきました。
大好きなyurie(ゆりえ)先生のインヨガを受けた時、
数多くの気づきがあったのです。
座学ではないので、何かヨガ哲学などを教わったわけではありませんでした。しかし、体と心と思考と、いろいろな方向からものすごーーーい発見があったのです。ヤー!
ヨガを私がする理由を再認識しました。
5つの鞘(さや) パンチャ・コーシャの詳細
5つの鞘のことを、「パンチャ・コーシャ」といいます。
(ヨガの教科書あるいはスタジオごとのテキストなどでよくでてきます)
1、「アンナヤマ・コーシャ」
(運動しようとか痩せようなどといったいわゆるボディ・体の部分)
2、「プラーナヤマコーシャ」
ボディの内側の2つ目の層。オーラやプラーナという人も。
普通のエクササイズでもこの部分までスッキリとしたと感じることは多いかな?
3、「アジーナコーシャ」
感情など。たとえば、もやもやしていた感情が、ヨガをした後いつの間にかなくなっていた。イライラしていたのに落ち着いた気持ちにヨガの後は変化していた、などという感情に関する鞘。
4、「ヴィジュナナマヤコーシャ」
何か気がついた!「ピコーン!」(アハ体験!的な)っていう感じのひらめきがやってきたり、自分の日常の癖に体を通して気がつき、違う選択肢を選ぶことができること。知性の部分。
もし、ここまでヨガのクラスで変化したり何か感じることがあったら(無意識だったとしても!)きっとその生徒さんはまたヨガをするんじゃないかなと睨んでいます。(たぶん)
5、「アーナンダマヤコーシャ」
シャバアーサナ(ヨガの最後に行う、しかばねのポーズ。ただ横になっているようでそんなことはないですがとても重要なポーズなのです)
とても至福の感覚。ときに、マットに横たわった状態が、この世のものとは思えない幸せな感覚がして、わけもなく涙が出たり、至福を感じられたとしたら「アーナンダマヤコーシャ」まで5つ全部、なにかが起きていたということかもしれません。
とはいえこの鞘は、グラデーションになっています。
(まるで虹のように!)
一層一層、ぱっきりわかれているわけではないので、電車の相互乗り入れみたいに、作用しあってはいます。
とはいえ、なかなか5つの鞘すべてにはたらきかけるようなヨガを体験したり、自覚できる人というのは多いかどうかはわかりません。
しかし、おそらくヨガをしてなんらかの理由で「何か感じた」人は
この5つの鞘にはたらきかけるものを感じたのかもしれません。
初めてのヨガで感じたパンチャコーシャ
「これは宇宙なのかな?」という不思議
わたしは初めてヨガをした時、毎日宇宙の広がりのような
不思議な感覚が半年続いておこっていました。
当時はもちろん「5つの鞘」などとわからなかったのですが、
シャバーアーサナすると毎回水面に浮かんでいる感じになって
涙が止まらなくなっていたんです。
「これは、一体なんだろう?宇宙?」って
本当に毎回思ってその後1時間は一人でお茶を飲んだり
しながら何もしたくない…。と浸っていたのです。
だからきっと続いていたような気がします。
(そしてその魔法はある時期から起きにくくはなったのでしたが
ごくたまに「今日はいいヨーガになった」と実感したときには
確実にそれが起きています)
日常、意識していないと
どうしてもボディの部分である体
(これがいわゆる硬いとか柔らかいとか大体の人が気にする部分です)
もしくは気(プラーナ)の変化にどうしても目が向きがちですよね。
ヨガの後、たとえば運動量が多いヨガの後、
たいていは「すっきりした!」っていうと思います。
でも、そんなときにちょっとだけこの5つの鞘であるパンチャ・コーシャを思い出していただいて、「自分としてはどこがすっきりしたんだろう?」って考えると少し面白いかもしれません
(ヨガの最中というよりは私の場合はクラスの後に怒涛のようにインスピレーションがやってきたりします。
その後もしばらく何日か続くこともありますよ)
そして、自分のクラスはどうだろうか?そのくらい参加してくださった方に気づきをもたらすものになっただろうか?と振り返ることもあります。「ヨガというのは決して体だけを変化させるものではない」ということなのです。(もちろん、真逆ですが、体にフォーカスしてヨガをするのもアリですよ)
意図的にできるものではないのだけれど、
ヨガをする人が自分の癖に気がつき、もしからだが痛いなどと不快を感じたら、意識の入れ方を変えるなど変化をその都度することで、その場で快適にするやり方に気がつくと、日常生活でも応用できます。
自分の癖に気がつくと、急に視野が広がります。
(大抵、自分のやり方を変えようと思っても、
自分の認識できる範囲でのやり方なので癖ってなかなか変わらないですよね。客観的に自分の癖、や行動に気がつくとはじめて普段の生活を意識的に変化させることができるのかもしれません)
痩せたい、ダイエットしたいからヨガをするのは間違いなの?
からだに意識を持ちすぎるのはやめたほうがいいの?
もちろんいろんな先生がいます。
形を教えていただくのもけがを防ぐためにも、からだがリラックスしたり気持ちよくなるためには大事なことです。
とはいえ、私Mayuがヨガをする上で知りたい、伝えたいことというのは
知識と体験をつなげる部分というか(体験は一人一人違うものですが)
奥深くある部分なのだなーとしみじみ感じたのでした。
繰り返しになりますが、からだが硬くても、恥ずかしくても是非ヨガをお勧めします。
もし、ヨガをしてみて体がほんのすこししか動かなかった、あるいは思うようにポーズがとれなかったとしても、自分の内側で気づくものがあったらヨガになりますよ。
アハ体験、みたいなものがいっぱいあるっていうのは
生きている上でのおもしろさでもありますね。
やさしく学ぶYOGA哲学 ウパニシャッド (YOGA BOOKS)
◎まとめ◎
ヨガのなかで5つの鞘(パンチャ・コーシャ)がある。
ヨガは体がスッキリする、痩せるということだけでなく
日常に気づきをもたらし変化させるものでもある。
そして人間の本質はアーナンダマヤコーシャ(歓喜鞘)です。
瞑想やヨーガは体が硬くても楽しめるもの。
完成形を目指すのではなく、気づきをたのしもう。