ヨギーニmayuさん モークシャへの道!

ヨガ、セラピー、宇宙、ヒーリング、文章。旅その他つれづれとかいています。

繋げることの面白さ

何かをなし得ることもすごく面白いのですが、自分を通してなにかが

繋がったり広がったりするのはとても面白いなぁ、と思います。

まあそれは婚活などでしたら、そういう業者、というのがあるんでしょうかね?

(いったことがないのでわからないですが)
それだったらお金になりますが、
なんだろう?正直これは、何もお金にならなくてもいいんですね。
自分という存在がなくなっても勝手に繋がってくれるという感じが

なにかいいんですよね。

例えば、ヨガのクラスに来てもらって参加者同士がつながる、ですとか。
そういうことが面白いし、なにか見ていると心が豊かになるようです。

表現する人というのはことさら「自分のアイデンティティ」に

こだわりがちかもしれないのですが

自分という存在がなかったとしても「何かが生まれる」

というのがとっても神秘的に思えますよね。

それは大人数のコミュニティだと積極的な人は
交流が生まれますがそうでないと生まれにくいので
どちらかというと4人〜せいぜい6人くらいが

それぞれが話せるくらいの人数なんじゃないかなと。

(なんどもいうように、積極的ではない人にも

スポットが当たって欲しいとなぜかいつも感じているのです)


なんだか変な話になりますが、

自分がしてほしかったことなのかもしれないです。

若い頃、頑張っていろいろなパーティで名刺を配ったりしました。

実になったこともないし、ならなかったこともありますが

どうしても「前に出て頑張らなければならない」のは

とても負担に感じていました。

でも、そういう「場」があったらもっと楽にできたような気がするし

無理をしないで生きられた感じがします。
(いつもオンでいると神経を壊しやすくなっちゃうから)
まあでもそれだけなんです。なにかそれを見ると嬉しい、
のかなぁ?というなんだか単純なことなのです。

わたしは決して生き方が器用な方ではないので

失敗したりうまくいかなかったり回り道がいっぱいあります。

今もあるかもしれないですが。

できあがってるコミュニティに入りにくい辛さだったり

うまくできなかった悩みもいろいろと体験しました。
それはひとえに自分の未熟さもあったのですが、
ちょっとしたフォローがあったらよかったなぁという
願いもあったのです。

そんなときになにか「場」があって「つながるきっかけ」

があったら。そしてそれが自分が始点だったらなんとなく

嬉しいなぁとなんとなく感じたのです。

「ふんわり生きる」というのは難しいことなのかな?というのが

今のテーマでもあります。

もちろん、具体的な目標があってそれに一目散にめがけていくという

のも素晴らしいことですが、ふんわり生きながら

「生きている実感」を感じるというのもなかなかいいものかな?

と感じています。

 

健康で、馬力があればいつも頑張れます。

でも、例えば健康を害してしまったり、馬力が効かなくなってきたときには

きっとやり方を変える必要が時々あると思うんですね。

そんなときには馬力を使わずにも生きられる方法を作ったり考えたり

する必要があるかもしれないです。

そしてそれはゆるいコミュニティというのが役に立つことも

きっとあるのかなぁということをなんとなく思っています。

 

これは、若い頃には考えもつかなかったことでした。

「繋げる」「与える」というなにげないことを

これからもしていきたいですね。

 

自治体セーフティネット―地域と自治体ができること

自治体セーフティネット―地域と自治体ができること

 

 

 

 難しい本!w でもフリーランスでも、会社員でも誰でも

ゆるいつながりというのはあると役に立ったりしますね。

心の慰安から本当に実用的なこともあるかもしれないですね。

 
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ヨガの出張なども行っています。