ヨギーニmayuさん モークシャへの道!

ヨガ、セラピー、宇宙、ヒーリング、文章。旅その他つれづれとかいています。

言葉と音符のエトセトラ

ときどき「本当にやりたいことはなんですか?」みたいな話になって

「えー。音楽ですね」というと
バックボーンを何も知らない人は「?!」という顔をします。

文章やセラピーはどこいった?!って。
そうですよね。それは、本当は経験値だけで判断しているもので

純粋性だけならば音楽なのだと思います。


3歳くらいから脳内にいつもメロディーが鳴っていて

子供の頃はずっとずっとエレクトーンとピアノを10時間くらい

弾いていました。音楽が鳴ってなってとまらなくて
弾いてるだけで宇宙と調和する感じだったからです。
言葉を使っていたのはそれで褒められていたからだと思う。
ピアノは習うようになってイメージ通りに弾けなくなって
だからといってジャズにいったりもしなかった。


ただ、アーティストのかたと出会うとなんでこんなに

話もしないのにすべてがわかるんだろう!と楽で楽で

仕方がなくて、嬉しかったし、それでもどこか少し落ち込んでいました。


とはいえ、わたしは言葉も音符だと思っています。
「書き手のリズム」というのがあってその体内リズムが

読む人を時に心地よくさせる。

(最近のハウツー的な文章にはそれが感じられないですが)

文章が上手い人というのはそのグルーヴがある人だし

例えば雑誌などではグルーヴは必要とされない
(全体のテイストや、その雑誌特有のグルーブが編集長によって

決められるので書き手の個性が求められるのはコラム以外には

ほとんどないと思う)
ネットというのははっきりとした文脈で成り立つことと
異物であることを意識するという不思議な文化なので
なかなか純粋な「美しいグルーヴ、ハーモニー」というのが

求められてはいないのかもしれないです。

わたしは文章は音符だと思っています。

フレーズ同士を繋いで音楽になるのと

言葉を紡いで文章になるのはまるで同じことです。

だから論理的なものより、リズムでかかれた

まるでオノマトペのような文章というのが好きだし

できることならそれを綴り続けていたいなーと思います。

文章を書くという行為は、音符を紡いで作曲する
ということと似ていて、自分の宇宙を外側に表現するということに

他なりません。もちろんそれがしいては社会に働きかける

ということがあれば尚更良いに越したことはありませんが

そこは意図するものでは本来ないのかもしれないですね。

音楽も文章も「調和された宇宙」であり続けたらいいなと
正解のない道を、歩み続けていきたいと思っています。

 

音と言葉 (新潮文庫)

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様々な場所でヨガを行っています。
⚪︎11月21日 「宇宙的な意識の使い方」1

⚪︎12月5日  「宇宙的な意識の使い方」2

12月半ばより関東にお引越しすることになりました。
様々な場所に移動しながらも、ヨガのシェアリングやセラピーも
続けていこうと思っています。skypeもときどき使っています。

ご興味がある方はmayuchi22@hotmail.com
までお問い合わせください。