ギータ三章を捧げることにしたのでこそこそ練習しています。
中学生の頃は丸々暗唱など楽勝でしたが、今はさっぱり忘れます。まあよいのです。またやれば。ギータ全部暗唱できたらよいなー。
でも、みなさん、どうか頑張らないでくださいね。これ以上。習性を変える(無理に変えようとするわけではないからややこしいですが)のが大切なのに、結局なにをしていても頑張りすぎて体を壊したり、イライラしたりしていたらそれこそ意味がないのですよ。カルマヨーガになっていません。
ですから、どうか楽しく楽にしていきましょう。それでよいのです。
疲れたら休んだりして、暗記ものではないのですから。
わたしは最近ラマナマハリシの瞑想ルームに行く機会に恵まれ、知識も勉強すらいらない!と言われてしまいまして、しばし考えました。
自分を苦しめる習性から離れられなければ、学んでいることさえ意味がないですもんね。
沈黙も大切だなあとあらためてしみじみと。
モークシャは頑張った先にあるもの、なわけではないのです。
だから習性を落とし無知を落とし、味わいながら楽しみながら、テクテク歩く感じです。
しだい次第に行いで叶うものではないのだーという意味が理解できます。
もちろんいまは行いの時期なんだから、ぶいぶいまだまだ言わせたいのだ!というのもそれはそれでOKなんです。
そんなわけで気楽にいこうといいながら暗唱したいと考える矛盾も楽しいこの頃です。
アルナーチャラの歌も楽しいですよ。