ヨギーニmayuさん モークシャへの道!

ヨガ、セラピー、宇宙、ヒーリング、文章。旅その他つれづれとかいています。

ダルマを選ぶとダルマによって守られる。

以前、プルシャアルタについて書いたかと思いますが、アルタ、カーマ、ダルマ、モークシャの4つが人間が求めているよというお話があったと思います。

なかでもダルマは人間が探しているゴールなんですということの再認識のお話です。

わたしたちはアルタ・カーマ(安心や喜び)の追求をしていくのですが、たとえば会社が大きくなり、お金もたくさん稼いだけれどなんだか虚しいといったときに「どうしてなんだろう?」と考えるようになります。たとえば、ハリウッドスターだったりしたら、お金をいっぱい得ることでだんだんバランスを崩してしまう人もいますよね。(私が大好きだったブリちゃんとか…うううう!w)そこで、例えば次第になにか寄付をするようになったり、地球環境について考える会社を作ったり、いろいろな形でバランスを取ろうとしていきます。そこで、ダルマ(何が正しくて何が間違っているかという秩序を考えて一つ一つ選んでいくことが大切になってきます。

ダルマを選ぶということはとても大切なのだけれど、世界中を見回してみても、なかなかそういう文化というのはインド以外では見つけられなかったとスワミダヤーナンダジはいいます。
だけれども、わたしたちは安心や喜び(アルタ・カーマ)を求めることも悪いことではないし、モークシャを得るまではアルタ・カーマを求めることは自然なことなのです(ついついヴェーダーンタの勉強を始めるといけない!と思ってしまう部分でもあるんですが)
世の中はアルタ・カーマの探求に満ちた会社が多いではないか!それは時にアダルマだったりするのでは?という考えにもなりそうですが
私はどうやって折り合いをつけているかというと、それは妥協でなくて、自分の中での心地よさを基準に選ぶようにしているという感じです。
ダルマを選ぶことが、自分を苦しめたり、周りとの摩擦を生むことになっているとしたら、少し立ち止まって見るのがいいのかなと思っていて
たとえば、自分が勉強して知り得た価値観を、まだ知らない人に理解なしに押し付けてしまったりしたらきっとそれはそのこともアダルマかもしれないし
自分ができること一つ一つを選んでいくことかなと思っています。

ヴェーダーンタではないのですが、わたしは「厳密性は人を苦しめる」と思っていて、もし自分が苦しくなりながら厳密性にこだわるのだとしたら
それはきっと自分を傷つけていることにもなるし、調和できる部分から調和していくことが大切かもとおもうのです。
知ることで周りとの差異を感じるのではなくて、調和している部分を見つけるのです。

例えば、プラドーシャ・プージャでパーパ(アダルマな行為をしてできてしまったものを中和するプージャ、お祈り)を中和したりもできますし
一つ一つ、ダルマに調和した行動をしてみることを大切にするのがいいかなと思います。

そして、たとえばアルタ・カーマを先に選んでいた時より一見、得られる収入が少なくなったりすることもあるかもしれませんが
結果的に、ダルマを選んでいきることが、最終的にはダルマに生かされる生き方になっていくのです。
きっとこれは学ぶだけではなく、日々の実践あるのみという感じかもしれませんね!

ちょっと頭の整理も兼ねて書いてみました。たぶん、今日で700本のはずww

ゆっくりとヴェーダーンタのお勉強も続けていきましょう。
一緒に学びたい人も、いつでもメッセージください。
いつかみんなでお祈りとかしたいですねー。

まゆさんのヨーガやセラピーなど受けたい方は
mayuchi22@hotmail.com

ヴェーダーンタに興味が出てきた。ちょっとやってみたいという人もぜひ。
簡単なイントロダクションだったり、こちらが終わったらギータの読み合わせをしたりなど
いろいろしていきましょう。

最近面白かったのですが、paypayでドネーションをしてくださった方がいました。近未来的です!
mayuchi22 がIDです。
21世紀ですので、LINEpayですとか、いろいろな方法でお支払いしてみたいという形もお受けしています。
もちろん、通常のお支払いでも全然オーケーです。
ではでは。また。