ヨギーニmayuさん モークシャへの道!

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許すこと クシャマー

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今日は朝も夕方もたまたまみたヨガ哲学のお話で「許すこと」について話していました。なるほどー、と思いブログにも書いてみます。

許せないこと、まだありますか?
昔々のことでも、現在進行形でもよいです。

いまは世の中についても、正しさについて言及したらみんななにかしら不平不満がでてくるかもしれませんよね。
しかし、不平不満が強くなると受け入れられる範囲が狭くなりますし、よいことがあるとルンルンとしてなんでも許せてしまう気がしますね。

他人を許せないとき、そこに自分をうつしているよ、なんて聞いたことあるのではないでしょうか?
ヴェーダでなくとも、セラピーや心理学でもそういわれたりして、あー、鏡だというなあ、だけどなかなか難しいんだよね、と思う人もいるかもしれません。

ヴェーダでは「許すこと」はクシャマーというそうですよ。くしゃみみたいな単語ですぐ覚えられそうですね。

とはいえ、すべてまるまる許せているか、というと、わたしはどうだろうかなー?
もう忘れたものもあれば、ゆるした気がするものもあるし、許せてないかも?!(考えないようにいつもはしている)みたいなこともありますね。

他者を許すことは自分を許すこと、

そりゃー、わかっているけれどなかなか、というところかもしれませんね。

寛容なひとといると気持ちがよいですよね。楽になれる感じがします。
他人の欠点が見えてしまうときは、もしかしたら不満が強くなっているのかも。
これは世の中に対して、の場合もあるかな?

わたしたちは行いを選ぶことはできますが、結果を選ぶことはできません。
だから、もしかしたら不平不満が強いときは行動ができていないときかもしれなくて、なにか行動を一つでもしてみると、もやもやあるいは攻撃的な気持ちが減るかもしれないし、気にならなくなるかもしれません。

まあ、許すって愛なんだと思いますが、ときに実践ってなかなかできませんね。
しかし、余裕があるとき、自然の中を散歩しながらボーッとしていると「まーいいか!」みたいな気持ちになったりもします。無理やり許せないかもしれませんが、
ゆるした気分に今日だけなってみる、もよいかもしれません。
たしかに、自分から見たら絶対許せないことも、相手には相手の事情があって、そうすることしかできなかったのかもしれないし。

わたしたちが罰を与えなくても、自然の法則は必ず左右しているので、もしかしたらもっと安心してもよいかもしれませんね。

仕方ないかー、許すとするかーと(全然、謙虚さがなくてすいません 笑)口に出すだけでもよいかもしれません。

クシャマー、クシャマーですね。

きっとわたしもいちにちに二回もこの許すというキーワードがやってきたということは、そろそろゆるしなさいよ、となにかについて言われているのかもしれませんね。

世の中に偶然はないですもんね。
ああふしぎ。

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うけるのはひとりが良いんだ!という人もお気軽にどうぞ。


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