ヨギーニmayuさん モークシャへの道!

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<レビュー>タゴール・ソングスを観て

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目次


不思議なメロディと美しい詩 タゴール

現在、絶賛上映中のタゴール・ソングス」
タゴールという名前を聴いて「あー、あのタゴールね」
と理解できる人は相当のインドもしくはバングラデシュに精通している哲学者かもしれない。

ベンガル語を学んでいると今回監督をしている佐々木美佳ちゃんからきいたとき、「ベンガル語?!」と驚いたものだった。
しかしなにをかいわんをや。
ベンガル語は2億以上の人に話されている。
日本語より話す人が多いのだ。インドはヒンドゥー語というイメージだけど、私の行ったケララマラヤラム語だったし、タミル語もあるし、言葉というのは奥が深い。ベンガル語バングラデシュで話されていたり、カルカッタで話されていることも、タゴールがインドやバングラデシュの国歌を作詞していることもまったく知らなかった。井の中の蛙も蛙である。


インド国歌「ジャナ・ガナ・マナ」
なんとなく柔らかい。タゴール作詞。

バングラデシュ人民共和国「我が黄金のベンガルよ」
ますます柔らかい。これもタゴール作。

タゴール・ソングと民謡、労働歌、歌謡曲との関係

タゴール・ソングは口づたえで何度も歌の練習をしているシーンがある。時に学校だったり、また歌の先生からレッスンをつけてもらう形もある。国民全員というわけではないが、ソウルソングのように歌える人もいるようだ。

日本には口承で歌い継がれたものはなんといっても民謡かもしれない。タゴール・ソングを聴いて初めて感じた感覚は「演歌みたいな、子守歌みたいな…」。日本では聴いたことがないような、つかみどころのないメロディ。シンコペーションのような不思議な変拍子ながら、川の流れのように情緒に訴えてくるなんとも言えない感覚といいましょうか。
日本の民謡はヨナ抜き音階が使われていますが、タゴール・ソングの音階はいったいどうなってるんでしょうか?すぐには歌えないはず。

宇宙や自然との一体感を感じるタゴールの詩

あの聖路加で教えていた日野原先生はタゴールの詩から宇宙との一体感や自然との一体感などを学んだそうです。
しかし、昨今の日本だけでなく世界においても合理的なものばかりもてはやされてしまい、自然の素晴らしさや宇宙との一体感などはどこか置き去りにされてしまっているような気もします。

働くということと自然などが遠く切り離されてしまい、日本におけるタゴール・ソング」のようなものはなかなか少ないのかな、という感じもします。
わたしは、この10年はどの曲を聴くにもメロディ専攻になりつつありまして、テクノやソウルファンクを含めて感覚できいていました。歌詞に耳を傾けるのがどこかこっぱずかしいような気持ちにさせられることもあり、歌詞を聞き入るということはめっきりしなくなってしまったかもしれません。
詩を見ることがもしかしたら胸のうちの大事なところに触れるような怖さをおぼえていたからかもしれません。

2000曲を作ったタゴール 日本では誰に当たるかな

タゴールは2000曲以上書き残したといわれています。量産にもほどがありますよね。
筆が速かったのでしょうか。創作のイデアと繋がっていたのか知る由もありません。
日本の作詞家で考えてみますと阿久悠さんなどは5000曲を超えますが、いかんせん阿久悠さんは流行歌中心の作詞ですから、普遍性を多岐にわたり、というのはなかなかいません。(だけどわたしの頭の中に浮かんだのはさだまさしさんです。小説も書いたり映像、映画や作詞作曲でどの世代の心にも響きます。といっても、哲学者ではないからまた違うかな)
映画紹介では中島みゆきのようでもあり、ブルーハーツのようでもあり、もちろん時に哲学的なソウルソングでもあると紹介されていましたが、ひとくくりにあてはめることはやはり難しいのかもしれない。

タゴール・ソングの普遍性は時代や国境を超える


タゴール・ソングとの向き合い方は、人により様々です。しかし、国歌の作詞まで手がけて遍く知られるタゴール(ノーベル文学賞までとっている)は、出会う時期や年齢によりさまざまに感じられることでしょうし、たとえば、病気の時や不遇なときに感じる感覚というのもまた、価値のあるものでしょう。普遍性というのは、いつの時代も変わりなく、星や月がなぜ出るのかとか、なぜ生まれてきたのかなど哲学的な疑問とかはきっとAIがすすんでもなくならないのではないでしょうか。

仮設の映画館が繋いだ鑑賞の喜び

最後に、このコロナが発生した数ヶ月、人とは気軽には会えない分断された感覚で、外に出ること自体、ましてお店のテイクアウトすら怖くなったときもありました。
しかし、仮設の映画館というシステム。なんと画期的なものでしょう。わたしは藤沢に住んでいたときになかなか行きたくてもいけなかった逗子のシネマアミーゴの仮設の映画館で見ることができました。そのチケットを買う瞬間は、リアルな映画館にいった気持ちとなんら変わらないものだったし、スマートフォンでの鑑賞はスクリーンこそ小さくなりましたが、綺麗な映像に感動し、それこそインドのカルカッタバングラデシュダッカにいるような気持ちすら味わえた。
タゴール・ソングを歌う人のそばに寄り添いともに旅をし、ときとして疑問を感じたり、悔しさや儚さなどさまざまな感情とともにいた。けして分断などされてはいなく、ともにあるのだ、という想いにもなった。

もし劇場でしか上映されなかったら、足を運ぶことができない場合、DVD化されない場合どんなによい作品でも見ることが難しい。しかし、布団の中でも夜中でもいつでもみれる。これは嬉しかった。

人の心のさざめきはいつも変わらない

わたしはヨガを学び教えていて、よく「インドが好きなの?」ときかれますが、語弊なくいえばインドが好きだとか興味があるわけではない。インドに行ってわたしは自分のこともヨガもよくわからなくなったのが正解である。むしろあらゆる心に興味がある。正直、人とたくさん関わるタイプではないわたしがなぜヨガをし続けているのかはわからないのだ。健康だけならエクササイズで十分だけど、わたしははじめからヨガをエクササイズとしてはまったく捉えていない。

なにか人の根底に流れるもの、だったり宇宙だったり、がわたしを惹きつけてやまない。
タゴール・ソングは、ベンガル人ではないわたしにも、根底に流れるなにかをくすぐる働きがあるように感じた。是非とも繰り返し何度でも見たい作品である。

最後になりますが、作品に出ていた東京で働きながら学ぶベンガル人の男の子のその後がとても気になっている。人は幸せになるために生まれてきたとするなら、彼の真面目ですこし寂しそうな笑顔が続くことを願ってやみません。

タゴールの作品


ギーターンジャリ



わが黄金のベンガルよ

タゴール・ソングスは現在上映中です。

http://tagore-songs.com/temporary-cinema.html
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こちらから好きな映画館をタップし、24時間みることができる仮設の映画館か、お近くの映画館に足を運んでください。
人の心にも火を灯し、時に寂しさや苦しみにもともに寄り添い、歩み、勇気を与えてくれる。そんなタゴール・ソングを是非ご覧ください。
何度も観たくなる映像の美しさも必見です。