ヨギーニmayuさん モークシャへの道!

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森田巡礼日記(愛するタモリさんのお家を拝む)

今日、わたしにとっての神社仏閣。
あるいはメッカともいいます、タモリさんのお家を久方ぶりに拝んできました。

あいかわらず水色のお家は輝いていました。
すこしお部屋の方を見上げるとオレンジ色のほのかな薄明かりが点いていました。
ややや、まさか森田さんご自身がいたのではあるまいか?
そこはぐっと、想像だけにとどめました。
私はコンシュルジュではありませんw ん?

タモリさんがいなければ仲良くなることもけしてなかっただろう、
矢口くんと久々に「タモリさんを想う会」を少しの時間しました。
初めて矢口君に会った時
タモリさんが司会のイベントのチケットをとってくれました。
とてもありがたかったのでお礼をしましょうか?と伝えた時、
タモリさんを好きな人に悪い人はいません。
タモリさんを愛する気持ちだけで結構です」
といわれたのももう10年も前のことになりましょうか。
あれは、早稲田祭のことでしたね。
まだ、今のようになっちゃう前のハンカチ王子もゲストでした。

この10年の間に時代もだいぶ追いつき、
別にタモリさんが大好きだ!ということが
世の中的にもなんら恥ずかしいことではなくなりました。
むしろ積極的にブラタモリの話をしているひとも一人や二人じゃないはずです。

これをベイシーの菅原さんは「タモリは時代に勝った」
としきりにいっていたわけで
タモリさんの先輩です。ヨルタモリのキャラクターのモデルでもありました)
本当にそれは、不思議なことでもあります。
マニアックだったものがメジャーに躍り出てしまうのですから。
昔、タモリさんはどちらかというと密室芸人で、
嫌いな芸人に上がってしまうほどだったのです。
やはり、時代は変わりましたね。


例えば、中目黒のバルズの跡地がニトリになってしまうように、
時代というのは日々、変化しているわけなのであります。

だからなんだと言われても、わたしはこれからもハナモゲラ語を愛し、
ジャズを愛していくことでしょう。これから麻雀だっておぼえようじゃありませんか。
地形だって調べたりしたいし、やることはいっぱいあるのです。
もし、いつなんどきタモリさんの代わりに何かを要請されたとて
答えられるようになるには、日々の精進が欠かせないのです。

タモリさんの話を肴に、何杯でも蕎麦がいけてしまう、そんな時間でした。

 

タモリ(2)

タモリ(2)

 

 こんな時代もあったよ!

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mayuchi22@hotmail.com

「森田を愛する男と女」まで宜しくお願いします。