ヨギーニmayuさん モークシャへの道!

ヨガ、セラピー、宇宙、ヒーリング、文章。旅その他つれづれとかいています。

happy duwari 光のお祭り

今日はハッピードュワリ🎉ディーパーヴァリ、光のお祭りです。インドも様々なところでお祭りをします。ラーマーヤナというお話を読まれている方は、ラーマ(光)がラーヴァナ(悪)に勝利した日とご存知かもしれません🥨

 


現代版 ラーマーヤナ物語

いろいろな本があるのでご興味がある人はぜひ。

 


絶版 原典訳 マハーバーラタ 全8巻揃 上村勝彦訳 ちくま学芸文庫 古代インド神話/ヒンドゥー教/聖典/宗教/哲学/思想/ラーマーヤナ/叙事詩

 

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何日か前からお掃除をしていらないものを捨てたりして、オイルランプを焚いたり。先程みましたら、コロナも落ちついてきて、インドでも賑わっているそうです㊗️

諸説あるみたいですが、ラーマに帰依しているハヌマーン(おさるの神様)はラーヴァナによってランカー島に捉えられしっぽに火をつけられてしまいますが、からだを自在に大きくできたのでしっぽを振り回して島中を火の海にして、勝利に貢献しました🐵

わたしたちの心の中にある、人に役に立ちますように、良いことを選ぶ純粋なおもい(光)がどんなときも闇を打ち勝ちますように🐒

昨晩の夜のクラスの最後にもちょこっと歌いましたが、今日は簡単なラーマのキールタンをセンターの早朝プージャでリレー形式で捧げました😊
リレー形式は歌う方のキーが異なるので(私の声が低いため)1人に比べたらなかなか難しいときもありますが不必要なエゴを捨てて、祭壇やガネーシャ、今日はラーマに捧げる気持ちで唱えさせていただいています🦔

光のお祭り。素敵ですね🍀

チャンティングの練習

今朝ついにチャンティングをしたり聴いている夢を見ました。ギータ15章ですね。

 

受験生みたいですね。よいことですね。

 

サンスクリット語の文法はまだまだ難しいなと感じつきひがたちますが、チャンティングを日々することで理解が深まれば良いかなと感じています。頼まれてはいませんが、プージャーではチャンティングを捧げる目標を掲げて、いまのところはガネーシャチャトルティとスワミダヤーナンダジのマハーサマディプージャーでチャンティングを捧げました。

 

ヴェーダンタは結論は既に教えて貰っていますが、今までの価値観などと全然違うことがありますから、繰り返し様々な形で教えてもらい理解していきます。その過程でチャンティングもあるのかなと思います。

 

ダルマを意識して行動しますが、生きていくうちにアルタやカーマを求めることは時には大切なことです。学んでいくうちに、無意識にアルタやカーマが良くないものに感じ、抑えようとするときがあるかもしれませんが、ダルマに反したやり方でなければ、今何を求めているのかは大切なことで、学び続けるうちにいつの間にかダルマやモークシャの大切さに気づいていくのかなと思います。

 

優先順位が変わり、価値の価値に気づくにはシュラバナマナナ二ディッティアーサナが欠かせません。

なによりも大切なことはヴェーダンタを学んでいてもいなくとも、調和を大切にすることは変わらないかもしれないし学びが深まるといるだけで安心でき安心させる人になるかもしれないと思います(これもあくまでオマケではあるのかなと思いますが!)

 

少しずつ実生活でまずは役立てたり実践して行けたら良いですね。

チャンティングしばらく続けて発音もたしかなものになればまたシェアしていきますね。

 

 

季節の変わり目 ケアしたい

小さな頃から自律神経がいまいちで、喘息から蕁麻疹、アトピーなど一通り体験しました。

今でもパソコンをしすぎたり、こんつめすぎますと、いろいろ支障をきたします。

 

小さな頃は病院ばかりいっていましたので、病院嫌いになってしまい、基本的にはよほどでなければ病院にはいかないように(眼科や皮膚科を除き)しています。

やはり薬はよく効くことはたしかなのですが、副作用があったり免疫力をさげてしまうきがします。ヨーガや他のセラピーに興味を持ったのも、もともとはこれがきっかけです。

 

いまも、どうしてもというときは仕方がないですが、ホメオパシーやレメディなどを使うなど、いつもすぐ薬を飲むことにならないように気をつけています(痛み止めなど)

 

もちろん個人差もありますので、どんなものもあわないけれど無理にとるなどはする必要がないですし、ためしてみて、よかったら続ければ良いですし、イマイチならばやめてみたりしながら、うまく身体の声を聞いていくのがよいのかなと思います。

 

ちょっと変な話ですが高齢化社会がすすみ、至る所に病院はあるわけですが、こんなに拡大するというのにはやはり利用する人が多いからなわけで、本当にすぐなおるのならばこんなに増えてはいないのではないかな?と思ったりもします。もちろん長生きすれば良いというものではありませんが、ピンピンコロリになるには、やはり自分なりの工夫や健康管理をみにつける必要があります。

 

薬が増えていたら生活習慣になにか癖はないか、天気との兼ね合い、食べ物、運動、さまざまな角度から見直してみたり、もちろん自己流ばかりではよくないかもしれませんが、わたしは病院にいかなくなった10年はかなり体調がよくなったので、薬で症状をとめる、みたいなくせがある方はなにかうまく薬以外の方法も併用したら良いのではないかなと思います。

(外科的なものや急性の場合はこれに限りません)

 

余談ですが、安いボルスターをひとつ用意してリストラティブヨガのように胸を開くと、今の時期は呼吸が浅くなりがちですが、だいぶ呼吸が深くなります。一日に数分で良いのですると肺に広がりが生まれ呼吸しやすくなります。

汗をかくまでいかなくとも、散歩をしたり運動習慣を身につけたりなど、チャレンジできることは沢山あります。

 

オンラインでもスタジオでもヨーガももちろんおすすめです。

 

身体もメンテナンスしながら、上手く付き合うことで、習性からすこし違う選択をとることができます。是非なにかできることがあれば取り入れて見てくださいね。

 

ヴェーダンタからは離れた話題ですが、やはり健康はモークシャを叶えるためにも必要ですし、まわりでも調子が崩れたりして心細くなる友人もいますが、経験したことがあることはお伝えできますし、溜め込まずにおはなしして欲しいなと思います。

みんな頑張っていますので、体に不調も出やすい時期でもありますからね。

単なる心配ではなく、寄り添うことができることがなにより大切なことですし、案外世代を超えた交流もはげましあうきっかけになったりしますね。

 

と、いろいろ書きましたが、早く寝るだけでも違ったりしますので、取り組めることを取り組んで見てくださいね。

 

こんなことが良かったよ、などあればまた教えてください。みんなのデータベースにしましょう。

 

 

 

 

ダルマ、アルタ、カーマ。

久しぶりにダルマの話題をしています。

 

ダルマは秩序です。イーシュワラとイコール。

さまざまな側面で

サーマンニャダルマといったり(自分の内側にある良い悪いのセンス)、個人のダルマはスヴァダルマ、国などで決められ、ダルマにそったダルマはヴィシェーシャダルマと言ったりしますが、そこに矛盾があったり、誰か特定の人だけが利益がでたりするものをいうのではないので、要注意ですね。

 

聖典もそうですが、マンメイド(人が作ったもの)ではなく、イーシュワラメイド(イーシュワラから生まれたもの)なのです。

 

時々、ダルマを選ぶにあたり、仕事などだとなにがダルマなのかわからないときがあるというかたもいます。なかなかに繊細ですよね。利益を追求しなくてはならないならなおさらです。

 

良かれと思いしたことが、結果的にダルマではなかった、アダルマだということはあるかもしれません。

 

だから、きっとそのときの最善を選び、行動し、祈り、ときには利害関係のない相談出来る相手に相談(インドではサニヤシーに相談したりするそう)するとよいですよね。

そして、1度決めたことだからと、状況が変わったりしてもゴリゴリと突き進むと、もしかしたら調和を選んでいないことになるかもしれませんので、熟考したいですね。

 

また、アルタ、カーマといって安心や喜びを探求すること自体は悪いことではないのですが、お金を得ていく過程でちょっとくらいならよいか、とアダルマ(ダルマに反すること。)をしてしまうことが問題なんですね。

お金そのものに、安心がある訳では無いのに、満たされないからともっともっととなってしまう。これは自分自身に安心を感じられていないからですよね。アルタ、カーマは一時的な喜びに変わりないのですが、それを人々の調和のために役立てたりすることが重要なのかもしれませんね。

 

わたしとはなにか?の探求が、じつはわたしこそが安心そのものだ、と気づいていける知識なのですね。それがヴェーダンタともいえます。

 

少しずつでも、理解が深まりますように。

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ガネーシャ・チャトルティ

9月10日はガネーシャ・チャトルティーでした。世界中で愛されるガネーシャの降臨を祝福する祝祭の日とされています。
朝5時からのプージャー(お祈り)に頑張って起きまして、ガネーシャ・シャラナンを捧げさせていただきました。

 

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ガネーシャは、こんな感じで象の形をしています。

シヴァ神の長男で、お母さんはパールバティですね。

障害を取り除く神様と言われたり、叡智の象徴でもあるので

勉強の前に唱える3つのシェローカの一つにガネーシャのシュローカもありますね。

とてもパワフルな神様です。

もっともヴェーダーンタではこれもイーシュワラの側面であることを

お忘れなく!

 

今年の後半はチャンティングの発音など、怪しげだったところを練習し、言葉のカルマ、ヴァーチカムカルマを意識したり出来たらと考えています。それが、文法やヴェーダンタの理解を深めることにさらに役立てば良いなと言う感じです。

 

ヴェーダンタは伝統的な勉強をしている先生から教え伝えていくものではありますが、ただきいていたらいつのまにかわかるようになる部分もあれば、意識してどこがわからなくて苦手なのかを見つけていくのも大切なことかもしれません。

 

文法もだんだんどこをしているか分からなくなってきていたので、久しぶりにmedha michika先生にご連絡し、チャンティングなどの勉強をさせていただいています。

amazonなどでも本がいっぱい出ていらっしゃいますので、ご興味ある方は

のぞいてみられてください。

 


サンスクリットの祈りの詩節集

伝統的な勉強を続けていて、チャンティングの練習をしている方は

こちらもとってもおすすめです。何かチャンティングを勉強しようというときに

音声もきちんとついていますので聞きながら正しい発音を身につけることができます。

 

チャンティングのこつは、まずはとにかく正しい発音をきくことです。自分で自己流にしますと変な癖がついてとれにくくなります。

音をよくきいてみると、案外きちんときけていない音があることに気づくのです。小さな音や、繋がって聞こえなくなる音、変化する音、マハープラーナのような息が二倍かそうではない音か、聞いてから発音します。

 

単純なのですが、わからない、きけないときにはゆっくりした発音をしてもらい、自分もきいてもらいなにができていないかを見てもらいます。この繰り返しですね。

恥ずかしいかもしれませんが、自分は音を聴けていないんだなぁという

ことを自覚することから始めると良いのかなと思うようになりました。

 

大人になると自分がダメなところを指摘してくれる人は少なくなります。

だからこそ、丁寧に音を聞くこと、聞けていないと気がついて

きちんと聞こうとすることというのは全てに通じる気がするなぁと

思うようになっています。

 

今は一日30分くらい時間を作り練習しています。少しずつですね。

繰り返し練習します。

チャンティング練習されているかた、一緒に練習しませんか。

ピトゥル・ヤグニャの季節

お墓参りの時期ですね。

ヴェーダンタでは、ピトゥル・ヤグニャと言ってご先祖を大切にしたり両親を大切にすることは儀式として大切にしています。

 

ヤグニャ、が儀式という意味ですね。

日本ではご先祖を大切にすると、わたしたちによいことがかえってくるよ、という形かなと思いますが、ピトゥル・ヤグニャはちょっと異なり、生きている私たちが行いをすることで、プンニャがご先祖さまに使われ、ご先祖さまがよいローカ(1番良いローカはブラフマローカといいます。天国みたいな感じでしょうか)にいけるのだ。と言われます。

先祖供養の意味あいがだいぶ異なりますね。

しかし、これこそしたいこととすべきことが一致するヨーガな生き方といえるかもしれません。

 

わたしもなのですが、つい、なにかしてもらうことばかり考えてしまいそうになるかもしれませんが、与えることや自分ができることをすることで、大きな宇宙の枠組みに生かされていることに気付かされます。

 

お墓参りに行くと、なにかスッキリした感じがするのは、なにか大きな宇宙の営みのなかにいる感覚がわきおこるからかもしれませんね。

 

故人の好きだったものを捧げたりしてもよいかもしれません。

 

今日は先生の先生、スワミダヤナンダジの誕生日でもあります。日本は終戦の日でもあるわけですが、節目節目になにか儀式をするのは、とても良い事かもしれないなと感じていますこの頃です。

 

サマディとモークシャは違うのだ、というお話し。

突然ですが、ヴェーダーンタのお勉強をずっと続けて少しずつオンラインで教えております。 伝統的なグルパランパランというものに則って学び続けていてその伝統に基づき、お返ししている感じでしょうか。

再勉強を真面目にしだしてわかってきたことがあります。それは シャバアーサナをしたときに感じる一時的な至福というのはよく「ラサ」と呼ばれます。 いわゆる瞑想をしていてもときおりおとづれることがあるかもしれません。 サマディという人もいるかもしれません。

アーサナを主にしていたときやヒーリングをしていたときにも、大きな勘違いがあったなと思うのは そのラサ、やサマディが続くことで絶対的な満足(モークシャ)になるのかな?と思っていたのです。 だけど、全然違うんですね。ラサはラサなのです。 知識によってしかモークシャは得られない(というかもともとわたしたちはモークシャがあるのですが!) ということで、いつのまにかサマディハンターになってしまうところがアーサナを教えたり続ける人には あるかもしれないなーと振り返ると思います。

勉強してよくよくわかってきたことなのですが、わたしたちは肉体を持って生まれてきた時点で すでに「足りないセンス」を持って生まれてきているので「なにか足りないなー」と思うのも いたしかたないのです。もちろん「無知」によって隠されているといったりもするのですが それにより隠されていて、埃をかぶった鏡のようになっているだけなのですが 人間である以上は自意識もあるので、人と比べたりすることも当然なんですね。 もちろん、だからこそイーシュワラということを学ぶといろいろな法則に気づいて理解が深まって 無知が落ちていくわけなのですが、「一時的な満足の積み重ねが絶対的な満足に繋がるわけではない」 (もともとはわたしたちはアーナンダ(満足)そのものである、と気付くことが大切なのですよね) というのは最近なんだかはっ!となったことでした。

ヴェーダーンタ(人類普遍の法則)にたどり着くまでは (というか結局10数年前にダヤナンダジにはあっていたのですが ピンときていなかった部分も多いですが)、ヒーリングもどこか一時的な満足だったりつじつまが あわない(一時的には楽になったり、するのも本当なのですが)部分があったなぁとしみじみ。 それは自分自身のことが足りないと思っている限りは何にも解決されていないわけなのだものなぁーと。

わたし(アートマー)は、体でもないし、感情気分でもない(何で上がったり下がったりする人ではない) のですが、そのことが理解できない限りいろいろなことで一喜一憂するわけです。 (そして理解してもそれがなくなるというわけではなく、シャマ、ダマもあるかもしれない)

ちなみにモークシャというのは、サムサーラの輪の中にないというのもすごくポイントで ジョーティッシュの中に「いついつにモークシャになる」と書いてあることはないのだそうです。 不思議。そう考えると、自由意志ってすごいなぁと思いますし、少しずつでも今までの習性からは 自由な選択ができるし、(強いてはそれもイーシュワラの中にあるのですけれども) とっても楽な感じがしますよね。

わたしたちは自由な選択ができるといってもほとんどが習性の中から出られることはないのだそうです。 たとえばアメリカに行くとかどこか海外に住むとか環境をを変えることはできますが、 結局そのあとも同じことをしているなぁ、癖は変わらないなぁと感じることってありますよね。 動物は100%習性の中にいるのだそうですが、人間は少しだけ選択することができます。 人間だから選べるといってもいいかもしれません。そしてそれもまたすごいことなのですよね。 そしてさらにそこからモークシャを祈ろうとか、ダルマを選ぶなんてことをすることを すこしずつ繊細に見極めていく(ときにはウパーサナ瞑想などしながら)ことで すこしずつすこしずつ変わっていくのですね。

もちろん、アルタカーマ(安心とか、楽しみとか)を祈るのも悪いわけではないので必要なら 探求しても良いのですが、ダルマやモークシャとなっていったらいいなぁと最近ひしひしと思い始めています。

与えることで与えられないを越えなさいというダヤナンダジの言葉が最近いいなぁとしみじみとしています。

久しぶりのブログでした〜!


BHAGAVADGITA HOME-STUDY-COURSEバガヴァッドギーター第1章まで
バガバットギータ。テキストは先生に教わることが大切ですー。

✳︎小さなヴェーダーンタの会 いつでも行っています。平日の日中や夜(月曜日、水曜日以外)で行っています。 基本使用料プラスダクシナで行っています。とても楽しいのであっという間に時間が過ぎてしまいます。 なにかアーサナだけでは満たされない感じがするなぁですとか、ヒーリングをし尽くしたけど 何か違ったなという人は、人類普遍の法則を学んでみませんか? 人によっていろいろと使用するテキストが異なりますが、グルパランパランの伝統を大切にして行っています。

<書評>千葉敦子さんの「ニューヨークでがんと生きる」を読んでみた

気になる本「ニューヨークでがんと生きる」

ブログなどを読んでいて時々出てくるのが「ニューヨークでがんと生きる」という千葉敦子さん(フリージャーナリスト)の本を読んでからしたいことの優先順位がはっきりしたという文言。これは一度だけではなく結構見かけるフレーズでした。 いつだったかオンラインのイベントをウェビナーで拝見した野本響子さんもおっしゃっていましたし、ほかにもちらほらとネットでみかけたので気になっていました。

千葉敦子さんというフリージャーナリストは1940年生まれで1987年にお亡くなりになるまで活躍されていました。といっても私はリアルタイムでは知ることはありませんでしたし、日本では女性が活躍するというのはまだまだ多くはない時代なのかなと想像される中で華麗なキャリアをお持ちでもありました。大学卒業後は元新聞記者の方ですが、途中でハーバード大学の大学院に留学されたりしていてとても聡明で、文体はすこし厳しめという印象も受けましたが、とても現実主義で、今自分が一番何をしたいかということを理解している印象でした。

そんな千葉さんが、乳がんになってからしたいと思っていたニューヨークに住むということを実現し、どうやってフリージャーナリストながら住まいを決めたり、保険に入る時にどうしたかといった現実的な問題をサバサバと乗り越えていったり、その都度その都度降りかかる問題にも対応していくという素敵な本でした。闘病の様子も描かれています。アメリカは患者さんの意思をとても尊重する国だということと、手術や闘病にお金が随分とかかるものなのだなという印象を持ちました。 優秀な人というのは、だいたい思い描いた通りに計画的に物事を進められます。進める力があるというか、ヴェーダーンタでいうと実用主義者と言ったり、物事を見通す力がある人のことで精神的にもよく学んでいる人をスピリチュアル実用主義者と言ったりもします(復習ですね 笑) しかし、病は詳細を調べたり知ることはできますが、コントロールすることや進行を抑えることなどは(薬や治療、色々なことが重なり治ることというのはあると思いますが)根本的にはできないのです。ときに見え隠れする色々な葛藤が少し人間らしいなと感じる瞬間です。 私の知り合いでも、とても優秀な女性がいて、よく恋愛をしている人でした。なんでそんなに恋愛するのか?ときいたときに「恋愛くらいしか思い通りにならないことがないから」といっていたのがものすごーーーく印象的でした。 わたしとしては「恋愛くらいしか?!仕事とか人生は全部うまくいってるんかーい!すごいやないか。」とびっくりしたのですが、そういうひともいるのかもなぁと今となっては面白く感じます。

その中でももしあと10年先まで生きられたら何がしたいか、ですとか、もし2年先だったら、なにがしたいかというのを書いていくという部分があってまだ書き記してはいないのですが、わたしもどうなんだろう?と思いました。「優先順位」などとは言われるものの、なかなか優先順位って決めがたいものがあるなと思うのです。

ヨーガをし始めてからというのか、アルタ・カーマ(いわゆるお金が欲しいとか現世的な喜びといった感じかな?)の欲望に執着が少しずつ薄れていくと、じゃあ一体何が本当にしたいのか?ということがほんの少しぼんやりとしてきていて、もちろんダルマを守るということはとても大事なのですがそれでも「やりたいことがわからない」というのとは違うだろうし、などと思うことも嘘ではありません。

やりたいことをあげて優先順位を決めていく

でも、2年しか生きられないとしたらどうするのだろう?10年だったらどうするだろう?(これは年数によってちょっと違うかもしれないですよね)とちょっと考えると、こんなご時世でなんですがもしかしたら旅ということになるのかな。それも世界旅というか。目の前のことに満足することはあるけれども、世の中をそこまで知っているわけではないし、それこそニューヨークだって一回しか行ったことがないし、見たことのない景色って数限りなくあるだろうし迷うところです。昔から為にならないことばかりが好きで、どうしてもためにならないことや役に立たないことが大好きなので、このところ世間というのは寛容さが薄れていますし、しだいにそこが狭まっていくことに寂しさを感じるのですが、余白の部分を生きることを許される人生であるといいなと願っています。

千葉敦子さんの本は他にもたくさんあるので、ちょっと時間を見つけて読み続けてみたいなと思っています。 時間の使い方もちょっと知りたいですね。(とはいえ優秀な人の時間の使い方は参考にはなるけれど、真似はできないのかな?!笑) 目標でもなんでもそうですが、細切れにするというのがヒントのような感じはしますね。


ニューヨークでがんと生きる (文春文庫)


ニューヨークの24時間 (文春文庫)
70円!笑 今は随分買いやすいお値段になっているようです。図書館で借りてもいいのですが、わたしは一度は買う派です。(本や出版界にリスペクトしつつ)

✳︎LINE公式アカウント作ってみました!時々配信しています。クーポンなどもありますのでお気軽にお友達になってください! 友だち追加

✳︎mayuさんのオンラインヨーガやセラピー 平日の夜(日によっては午前中)、土日などオンラインを中心にアーサナクラスやヴェーダーンタのクラスなど ニーズに合わせたクラスを展開しています。 月曜日と水曜日はヨガまるさんの夜クラス(オンライン)、他の日はミクロコスモス(わたしの)としてクラスをしています。 40分、60分、90分など時間もいろいろと選べます。お気軽にご相談を。 プライベートクラスもあります。 簡単なヴェーダーンタのテキストを使った入口クラスもあります。 自分の言葉にする練習を一緒にしてみましょう。 聖典の知識が生活に役立つことがいっぱいあります。それがカルマヨーガです。

何もしたくない人はお話しを聞くだけというカウンセリング的なクラスも。いろいろとご用意しておりますのでお気軽にお問い合わせください。

mayuchi22@hotmail.com まで。 facebookをご存知の方は、メッセージをくださってもOKです。

ヨガインストラクターが考えるおやすみの話

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おやすみでのんびりしたい砂浜。phoneACより!

おやすみを取っていますか?

これは主にフリーランスなど自分でお仕事をしている人や働きながらさらに副業などをしている人に多いかもしれません。ヨーガインストラクターでも多いかもしれませんが、ついついお仕事を入れてしまう。もしくはお仕事をしていない時でも四六時中お仕事のことを考えている。みたいな。そんなことってあるんじゃないでしょうか?もちろん、元気いっぱい10代、20代の時にはそれでもいいかもしれません。シリコンバレー発!起業家。みたいな。 たぶん、作業だったり考えること、行動に比例して何か結果を出すというのはある意味で真実であるでしょうし、そういう時期も必要です。しかし、このサイトはたぶん、人生に疲れた人が来る場所です(笑)疲れていなくても癒されたい人が来て欲しい場所なのです。真面目なのはわかりました。一生懸命なのもわかりました。 だけど、頑張る以外の方法を知らないと、きっと同じことの繰り返しになると思うのです(私だってそうだと思うのです)

おやすみってどうやって取ればいいんだろう?

そうはいっても、フリーランスなどの場合、自分でスケジュールを組んでますので見た目には休んでいるように見える時だってあるし、スケジュールを入れていない感じがするのに疲れが取れないという場合ってあるような気がしません?ね。 なんででしょう?私はそれを考えた時に一つ思うのは「やすめていない」からなんだと思うのです。 そんなときには、強制的に休みを作る必要があります。人によっては丸一日かもしれないし、人によっては1週間かもしれないし、人によっては2ヶ月から3ヶ月という場合もあるかもしれません。あらかじめ決めていた予定があるかもしれませんが、ちょっと無視しましょう。

1. 睡眠時間は足りていますか?

まずはこれも大切です。ショートスリーパーで十分という人もいますが、結構睡眠時間が足りていない場合があります。よく寝ましょう。フラワーエッセンスやホメオパシーの力を借りたりするのもいいですし、必要な人は整体やマッサージ、ヨガでもいいかもしれません。

2. 頭の中で何かを絶えず考えている

これは瞑想をせずとも日常で気がつける時があります。心配事など絶えず頭の中をぐるぐるしていることに気がついたら、気がつくだけでいいのです。それをそっと外側に置けたらなお最高ですが、そうならなくても気がつけばいいです。また、外側に置く方法の一つとして、日記を書いたりブログをかいたりnoteをかいたりしてもいいかもしれません。アウトプットするとちょっとでもスッキリします。

3. 習慣ではないことをする。遠出する。いつも行かないところに行く。

習慣が身についていて、ルーティーンがある人は素晴らしいですが、もし頭の中がいっぱいの場合はルーティーンをはずしてみましょう。これも1日でもいいし3日でも1週間でも自分ができるようにふるまってみましょう。自由意志を大切にします。それも、変化が起きやすくなりますね。

4. したいこと(できれば普段からノートなどに書き足しておく)をする。食べたいものを食べたり、買いたいものを買うなどの消費もOK!

スケジュールに巻き込まれてクリエイティブな感覚が沸き起こっていない時にはそれを行ってみます。生み出すということは生命力につながると考えていてしたいことをするのも一案です。もちろん、したいこととすべきことが一致すればなおよいのですが、成熟の過程においてやり残していることをすることやしたいことをすることも生命力に役立つのかなと思っています。

5. 誰かのお手伝いをしてみる

友達でもいいし、両親でもいいしだれでもいいので今日は自分のことはおやすみにしてお手伝いをしてみましょう。 自分のことで頭がいっぱいになっている時には不安感も生まれやすくなるし、どうしようもないということもあります。人のお手伝いをすることで自分ができることを与えることができますし、客観性が生まれると視点が変化することもあります。もちろん、体がくたくただったり体調が悪い時には無理をしないようにしましょう。

今はコロナがまだまだ治まる気配がなく、自由にいろいろな場所に行けないのがストレスに感じることもあるかもしれませんが、ますくをしたりして自然があるところなら行くのもアリなのかなと思っています。(気の緩みと言われてしまうかな 笑)縦横無尽にというわけにはいかないかもしれませんが、人生のことを考えた時に、人生もう8合目くらいだぞ、という方ならまだしも、学生さん(とくに義務教育だったりすると)に卒業旅行は控えてくださいという話を聞いたりするとちょっとせつなく思ったりもしてしまいます。

うまくアウトプットしたり、おやすみを取りながら、成熟した大人になれるといいですね。私もお手伝いできることがないかなと考えています。


✳︎3月もオンラインヨーガやセラピーを受け付けています✳︎
火曜日、金曜日、土曜日。また水曜日はヨガまるさんのオンラインです。 プライベートなヴェーダーンタをまなぶクラス、スワミダヤナンダジのカレンダーを使ったクラスなどさまざまなクラスがあります。 主にZOOMを使って行っています。 これからは呼吸法や顔ヨガなどのクラスも行っていく予定です。また、サンスクリット語を一緒に学ぼうというクラスも開講予定です。 お気軽にお問い合わせください。 mayuchi22@hotmail.com まで。 —