ヨギーニmayuさん モークシャへの道!

ヨガ、セラピー、宇宙、ヒーリング、文章。旅その他つれづれとかいています。

手放して見えてくるものがある

個人的なことをブログに書こうか迷ったけれど役に立てばいいなと思い

かいていきます。
矛盾するようですが、ヨガというのはいらない荷物を手放し降ろしていく

作業を繰り返していく行為のように思えます。

本来はそもそも拡大していったり何者であるか見せようとする行為とは

逆のことです。だから、本当のことを言えば人数を増やそうとか

影響力を与えようとかそういうために使ってはいけないし

そうある必要もないというか。
イベントなんかですごい人数でしていますが

本当のことを言えば、ヨガとは逆の行為だろうし

(でも業界全体としては元気があるということはとってもいいことですし)
たぶん、単純になにかの人数を増やしたりする方法であればヨガ以外のほうが

よっぽど集まると思います。

手放していくと何か見つかるという感じかもしれません。
たしかに世の中を見ると、立派な人がいるように見えたり

外見が可愛い人がいたり、有名で影響力がある人がいたり

お金を持っていて何かを成し得ているように見える人もいます。

でも、たぶん、ほんとうは何をしていても

人間って何者でもないし、なんでもないんですよw
死ぬときは骨になって灰になっておしまいです。

偉い人が金色の灰になるわけでもないし、

結局は何かが残るかというと

まあもちろん作品がある人は残るけれど

でも、それだけのことなんですよね。

でも、わたしはひとかどのひとになりたいんじゃー!というのは

それも自由なのだけれど、いろいろなことをやりすぎて

わからなくなってきているとしたら、それはたぶん

何かをして自分を付け足して「それが自分である」

ということを
やめる時期に来ているんだと思います。

おそらく、人の目を気にせず、その都度その都度自分が
本当に快適だな、好きだなと思えることをしていったら

けっこう自分のことが好きになると思います。

誰かに見せるためのスケジュールとか、誰かに見せるための

行いをしていると苦痛でしょう。
「こんなことをしている私がすごいでしょう?」というわけではなくて

なにをしていてもしていなくても、別にあなたのことを

ダメだという人はいません。
そんなことは誰も思っていないのです。

もちろん、無理をして、成長したりすることってときにはありますが

「自分がわからない」と思ってしまうときは

たぶん、おそらく何かが違っていて

手放したほうがいいときなんだと思います。

ヨガや瞑想をしていると、本当に大切なものだけが
残っていきます。必要な種は残り、芽がすこしずつ

育っていきます。
そういうものなのではないかなと思っています。

好きなことはやめる必要はないでしょうし、
言われなくてもするでしょう。
でも、なにもそんなに頑張っていないと人は見てくれていないなど

と思う必要さえもないんですよ。

というお話なのです。

自分で自分の居心地をよくしていくことに

意識を傾けていけば、自然とそれが幸せになっていく

心が落ち着いていくのだと思います。
わたしはそういうことを大事にしていっている気がしますよ。