今日は、フルワリさんからヨシローさんのご連絡で、OSHOライフトレーニングの一環である、1DAYペインティングへ。
3歳から絵を習っていました。
実は好きなんです。
うまいとか下手を超えてどかーんと
いく瞬間。
先日、この世から惜しまれつつ
去ったミラさん。彼女はOSHOの
サニヤシンであると同時に世界中の
人々から敬愛されるアーティストでも
あります。
OSHOは死をなくなるとは言わず
ボディを離れる、という言い方をします。
この世にはミラさんのボディはありませんが、存在のエネルギーはしっかり感じられた時間になりました。
OSHOのエネルギー、無垢で安心安全。
サポートされているような感覚なんです。
この世は魑魅魍魎、ときに混沌として
いますが、OSHOワールドにはあまり
それがないなあと感じます。
白いキャンバス、手漉きの紙にたっぷりと、色とりどりのもう一人のわたしを描く。絵の具を垂らしたりのばしたり。
はじまりは、すこし遠慮や窮屈があり、次第に自由なエナジーに変化する楽しさ。
みんなで体を動かし、エネルギーを変容させ、ペアで描き合う。大胆に、あるいは調和を考えながら、二人の宇宙を。一回めと二回目では明らかに深さが違うことに驚くとともに、相手のハートの深いところにタッチ。信頼感がうまれていました。相手はわたし。わたしはあなた。
ペアワークからふたたび一人の絵になると、描き方に変化が生まれ、窮屈さはなくなっていました。OSHOの醍醐味はダンス、ダンス、JOY。
そこに深刻さはありません。明るく笑いあい、深く繋がる感覚。
バヴェンさんのあの無垢な瞳は一体なんだろう?
他のサニヤシンの皆さんのエナジーのピュアなこと。アヴィナバさんも可愛らしく。
ヨシローさんはじめプーナではどんな青春を送ってきたのかな。ふたたびマティさんともお会いできましたし。一反も畑をしている(デカすぎない?300坪)アトゥールさんはわたしたちを都内まで送ってくださるなど、ユニークな地球の仲間がまた見つかりました。中国からも気品ある女性が数名参加されていました。
インテリジェンスと奥ゆかしさを感じました。
時々、サニヤシンについて考えます。
サニヤシンとは今流行りの出家、な
わけではありません。
何にも変わらないという方もいますが
どこか軽く飄々と明るくいきられている
諸先輩が多い印象があります。
世界中には70年代、80年代を始め
たくさんの日本人もインドのプーナで
OSHOからなにかを学ぼうと
寝泊まりしながら唄い、踊り
瞑想をしました。
最近は、安心してスペースを作っていたら
向こうから自然とやってくるのでは?
なんて思っています。
これは物事の運び全てに言えます。
わたしたちはなにかをしないことは、
なにかをすることより時にずっと難しい。
だから、踊り、歌い、瞑想し、絵を描くのでしょう。
ミラさんのエネルギー、存在。
今日出会えた全てのみなさんに感謝して。
わたしも幼少期の記憶を重ねたり
無垢になったり爆発したり
絵を前にたくさんエネルギーがでたらよい
時空間になりました。