ヨギーニmayuさん モークシャへの道!

ヨガ、セラピー、宇宙、ヒーリング、文章。旅その他つれづれとかいています。

祖父の20年祭に想う

降り積もる雪。
明日はおじいちゃんの20年祭。
時々書いておりますが、おじいちゃんは奥州一ノ宮鹽竈神社
宮司でした。それがきっかけで頂いた縁は
ここ数年で数知れず。それだけ知人が多かったとも言えますし
落ちそうな平均台から何度も救ってもらっているのが
おじいちゃんの力でもあります。
自分だけの力で何かをしようとしても、結局のところ
助けられているのだなぁと感じることが多すぎます。

ところでミニ知識。
神道では「周忌」とは言わずに、「年祭」と言います。


一昨年になくなった父の葬儀の際にも、
かつての祖父の葬儀の際もいつも雪が降っているような
気がいたします。

宀のつく漢字。こちらは全て祝福の意を表しますが、

 

なにもこんなにも降り積もらなくても・・・。
親戚がほとんど関東にいますので、果たして
明日の午前中にみなさま集まるのかどうか。

 

はてさて。
人が御霊に還ることは、祝い事なのでしょう。

父の死から、一般的にはタブーとされている死について
あちらのほうからもこちらのほうからも
考えてみていますが、
魂というのは結局のところなくならないとすると
人が肉体を捨て去ることが悲しいとも言えない感じがして
(もっともだからこんなに長くヨガをすることになっている
のだと思いますが)
むしろ新しい形に移行しているだけなんだろうなと
つくづく思うのです。

なにを言っているのだ、肉体がなくなるんだから
悲しいでしょう?と言われそうですが、やはり
それはわたしがずれているのかもしれませんし
宇宙全体という大きな枠で見たときに
悲しいも寂しいもないのではないか?と。

 

どういう理由かはもう忘れましたが
神様のことを勉強したりしていますが
神職であったおじいちゃんにはきっと生涯遠く
足元にも及ばないような気もしますが

最近ようやく毎日神棚に日替わりで祝詞を唱えております。


門前の小僧かわりと堂々と謳いますので
おじいちゃんもそして父すらも
遺影ごしにほんのすこし笑っているような気がしております。

 

少し長くなります。
神と俗というのは、紙一重に思えるところがあります。
ですから、俗に生きる人は思いっきり俗で生きることが
結局のところ神にも通ずることになるのではないか?

と思う次第でございます。

「わが屋前の 冬木の上に 降る雪を
梅の花かと うち見つるかも」

おじいちゃんが晩年書き写していた万葉集より
冬の句を選びました。

 

 

 

万葉集 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)

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